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2011年5月29日日曜日

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイによる福音書5章44節


 坂本龍馬を斬った男、今井信郎は明治維新後、キリスト教を迫害することが正しい事と考え色々な妨害をしていました。しかし、横浜の教会で説教を聞いた事により、回心し、キリストを受け入れる者となりました。そして、自分が殺した坂本龍馬の法事にも参加しました。キリストによって、神と人を愛する者に変えられたのです。

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイによる福音書5章44節

 敵を愛するとは、敵の祝福を祈り、善を施すことです。イエスは実際に敵を愛し、その愛を十字架で示されました。十字架は敵を愛する力の源です。敵を愛するならば、そこは神の国となるのです。

  蘭印をオランダから解放した今村 均司令官は、それまで禁止されていたインドネシア語を復活させ、インドネシア人に自由を与えます。また、オランダ軍に投獄されていた独立運動の指導者スカルノ(後のインドネシア初代大統領)を釈放し、オランダ軍に破壊されていた石油製油施設を復旧させました。石油販売価格をオランダ時代の半額にし、それにより彼らの生活は向上します。更に今村は、捕虜となった英国・オランダ軍将兵を大切に扱い、家族と自由に公園を歩かせ、軍人としての誇りも保たせました。今村 均とキリスト教との出会いは、6歳という幼い日でした。親しい老婦人に連れられて甲府教会の日曜学校に通い始め、生涯にわたりイエス様を主、人生の師として信仰生活を送るようになります。時代的、立場的な制約から、洗礼を受けることはありませんでしたが、陸軍大将という、組織の最高幹部に昇り詰めても決して威張らず、毎朝、誰よりも早く起床し、正座して心を整えて聖書を読み、自分のことよりも部下や関係者のため、敵のためにさえ祈り続ける生活を送りました。また、人生の歩みそのものが、「受けるより与えるほうが幸いである」、「敵を愛せよ」と教えられたイエス様に忠実に従った生涯だったのです。

 ただ、良い人間になろうとすると、それが重荷となり、人は良くなりませんが、イエスを受け入れると自由の恵みを得て、イエス様により贖われる神さまの愛に応えようと、人は良い業を行うことができます。イエス様を信じる人は、神さまとの関係が正しくされるのです。そして、どんな人に対しても、神さまに受け入れられ、愛されているという実感を人々に与えるのが、教会やクリスチャンの存在意義なのです。

2011年5月22日日曜日

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」ルカによる福音書6章31節



 「自分にしてほしくないことは、人にしてはいけません」と置き換えると、ただ、他人に迷惑をかけないように、ということになります。これは人間( 社会に生きる人) の最低限の基準です。麻薬取締の警察官が、「麻薬をやっている青少年に、人に迷惑を掛けているわけではないから、いいだろ」と言われることが、とても残念だと、言っていたそうです。

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」ルカによる福音書6章31節

 これは、黄金律( ゴールデン・ルール) と呼ばれる大切な教えです。神の愛をいただいた時、一番大切な「他人を愛すること」ができるようになります。

 「やっぱり、信仰を持っている人はちがうね」と、60 歳になって運転免許を取った田河水泡さん( のらくろの作者) は、にこにこしながら教会から帰ってきました。免許を取ったことを自慢すると、大抵の人は、「大丈夫ですか?気をつけなくっちゃいけませんよ。若い人と違いますからね。」と」心配するだけで、免許を取った本人のよろこびなど、問題にはしてくれませんでした。ところが、教会で免許を取ったことを言ったら、牧師や他の人が、「それは、良かったですね」と一緒に喜んでくれました。教会の人、キリスト者は、常に絶対者である神を信じ、魂のことを考え、人間の心情を大切にしている人たちです。まず、相手の気持ちを受け入れて、一緒に喜んでくれました。忠告などをする前に、相手の気持ちを受け入れて、共によろこび、共に悲しむ気持ちは、どんな人間関係にも大切なことです。

 「人に迷惑をかけるな」と世間では言います。しかし、神の愛を知る者は、全力で人を助けましょう。これが、神を愛する道、人生の目標なのです。「人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにしなさい」という、イエスの教え、さらに、これが守られるように、「求めなさい、そうすれば、与えられる」という約束を、わたしたちに与えられました。わたしたちは、神から恵みをいただけるので、人のことを考えることが出来るようになるのです。

2011年5月15日日曜日

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節



 交響曲の父と呼ばれたハイドンは、体も精神も弱って仕事が困難になったとき、しばしば心のなかにささやく声を聞きました。「この地上では、幸福で満たされた人々はとても少ない。皆、悲しみと不安に追い詰められている。いつの日か、お前の作品が、悩みつかれた人々に安らぎを与え、元気を回復させる泉となるだろう」この声に励まされハイドンは数々の名作を残しました。

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節

 主は「地の塩、世の光になれ」と命じているのではありません。あなたがたは「地の塩、世の光」であると宣言しているのです。わたしたちが世の光たりえるのはキリストがわたしたちの中に住まわれるからです。

「究極の最高の人生を送っている」とオーストラリアの青年、デイビッド・リビィさんはうらやましがられていました。少し働いてたくさんのお金を稼ぐ事ができ、後は好きなサーフィンばかりして楽しんでいたからです。でも、デイビッドさんは心が満たされず、幸福感がありませんでした。ある時、クリスチャンのサーファーに出会い、彼が証の中で「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」( ヨハネ10:10) というイエス様の言葉を読みました。「豊かな命」、それが自分に必要だと思いました。なぜなら生きていても、命を感じることが出来なかったからです。そして教会に通いイエス様を信じて洗礼を受けました。好きなだけ酒を飲み酔っ払うという生活だった彼は、クリスチャンになってもしばらく仲間と酒を飲みに出かけていましたが、次の日には、それをしなければ良かったと思うようになりました。また、自分のすることがどんなに他の人達に影響を与えるかも考えるようになったのです。今は、日本人の奥さんと、サーフィンをする人たちに神さまの言葉を伝える働きをしています。今は日本で宣教師として、神さまの御用をしています。

 光であるイエスに告白し悔い改めましょう。神は、暗闇のような生活を消して下さり、人を救うことができる光の子としてくださいます。

2011年5月8日日曜日

「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」マタイによる福音書5章8節



 マザー・テレサは、インドで見捨てられ死に行く人々を救うため、スラム街に入りました。しかし、一人ずつ救済する活動の仕方は非現実的だと言われました。「私は大仕掛けのやり方には反対です。…『一人ひとりの触れ合い』こそ何よりも大事なのです」と答えました。1979 年、彼女はノーベル平和賞を受けました。その後、世界各地で人道的支援活動が盛んに行われるようになったのです。

「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」マタイによる福音書5章8節

 山上の説教、八福の一節です。神の国に最も近い人は、心貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人、哀れみ深いひと、平和を造る人、義のため迫害される人、彼らは神にのみ頼み、神の国の実現を求めているからです。

 日本が台湾を占領していた時代、台湾人の間宮静子という女の子は、クリスチャンであったために、日本人小学校で教師からいやみを言われ迫害されていました。小学校六年生の時、彼女は成績が一番でしたが、その教師は、「お前は、成績は一番である。しかし、クリスチャンだから悪い」と言い続けました。けれども少女は信仰を捨てませんでした。日本の敗戦によって、この教師は鹿児島へ帰ります。少女は牧師夫人となり、1965 年5 月に九州で行われた日本基督教団の全国婦人大会に招かれました。その折、鹿児島の婦人会長に何げなく「私の台湾の小学校時代の受け持ちは、S 先生でした」と話し掛けます。すると、相手の方は非常に驚いて、「それは、私の父です」と答えました。「あなたが、あの成績一番のクリスチャンの少女・間宮静子( 察宝珍) さんだったのですか。父は、あなたの信仰によって、敗戦後キリスト信者になりました。私もそうです。父は死ぬまで、あなたに申し訳なかった、と言い続けていました。そして、あなたの写真を大事に部屋に飾っていたのです」。こう言って、今は牧師夫人であり、婦人会長である二人の女性は、手を取り合って、神さまへの感謝の涙にくれました。

 福音は人の心と体と魂をいやします。わたしたちも、神の恵みを覚え、感謝し神の愛を体験し、それぞれの立場で愛を分け与える人となりましょう。

2011年5月1日日曜日

「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」ルカによる福音書24章31節



 喜劇俳優のチャップリンの「ものまねコンテスト」が開かれたとき、チャップリン自身も、こっそりと出場しました。しかし、本人だと見破った審査員は、一人もいなかったそうです。本人がいるはずが無いという思い込みが、彼らの目を塞いでいたのです。

「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」ルカによる福音書24章31節

 エマオへの道で、弟子たちはイエスとは気がつかず、話をしていました。夕食の席で、二人はイエスだとわかりました。ありえないと思っているうと真実を見失います。復活を信じるには信仰の目を開いていただく必要があります。

 エルヴィス・プレスリーは、スキャンダラスなイメージが強く、一般にエルヴィスのイメージは不良です。エルヴィスが麻薬の常用者だったという噂がありますが、心臓が弱く、糖尿病と高血圧もあり、処方された薬は飲んでいましたが、決して不法な麻薬を飲んではいませんでした。「エルヴィスは聖句を暗記していました。そしてキリストによる生まれ変わり( 回心)、信仰によって新しい人生経験をすることの必要性を信じていました。さらに彼は聖書の言葉を実生活に当てはめ、実行しなければならないと言っていました。彼は本当に強い信仰を持っていたました」と、叔母( 父の妹ナッシュ・プレスリー、女性牧師) は証言しています。彼は9 歳で洗礼を受けています。実は酒、たばこもやらず( 葉巻を時々たしなむ程度だったそうです)、礼儀正しい模範青年で、両親を大切にしていました。そして、人に分け与えること、愛すること、同情、配慮、赦すことなどをとても大切にし、持たぬ人々に富を惜しみなく分け与えていました。 また、エルヴィスは、白人歌手として初めて、黒人をステージメンバーに起用しており、人種差別とも静かに戦っていました。世俗的なラスベガスにおいて、一番好きだったゴスペル『輝く日を仰ぐ時』を歌い、成功を収めています。

 復活のイエス様を目撃しなくても、証人たちが記した福音書を読み、イエス様を救い主として信じ受け入れましょう。神さまを知る生き方は、幸せなのです。