2009年12月27日日曜日
「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」列王記下6章16節
2009年は、教会に何人も新しい方が来られました。神様に感謝いたします。神様は、この小さな群れを顧みてくださり、力の弱い私たちにもするべきことを教えてくださいました。普段の礼拝には10人程しか集まらない教会ですが、先週のクリスマスには、50人以上の人が集まり、キリストの誕生を祝うとともに、メッセージを伝える機会を得ました。
「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」列王記下6章16節
イスラエルがアラムの王と戦っている時、アラム王は預言者エリシャのいる町を襲いました。弟子は狼狽えましたが、エリシャは神が共にいると諭し、主の軍勢が彼らを守ったのです。目には見えなくても主は私たちと共におられます。信じ従っていくとき、主は最善の方法を示されるのです。
「災難というものはいいものだ失敗も全部、燃えてしまったのだから、新しくやり直せる」とエジソンは言いました。1914 年、自らの発明であり、不燃だと思われていた鉄筋コンクリートの工場が火災にあったときのことです。その失敗も前向きに捉えた彼は、数週間後には新しい工場で、世界初の蓄音機(レコーダー)を発明しました。聖書が愛読書であった彼は、逆境の中でも感謝し、前向きに物事を捉えることを知っていました。私たちキリスト者は、逆境の時でも悔い改めた時に、神様がすべてを最善に導いてくださいます。また、恵を多く受けている分、神と人のために良い業を行いましょう。
失望感が好ましくないと、フロイトは目標を立てる危険性を言いました。しかし、人間にとって真に危険なのは目標達成後に、新たな目標を持たず、成長が止まってしまうことなのです。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」フィリピの信徒への手紙2 章13 節
2009年12月13日日曜日
『 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』ヨハネの手紙一 4章9節
12月12日土曜日、教会で結婚式を行いました。花嫁はミッション系女子高の卒業生であり、親戚にも、多くの卒業生がいるようでした。懐かしそうに大きな口を開けて、「いつくしみふかき」を歌っているお年寄りの姿が印象的でした。結婚式がきっかけとなり、また教会に行くようになればとお祈りしました。
『 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』ヨハネの手紙一 4章9節
愛は神様からきました。だから互いに愛し合うように聖書は勧めています。神様は、私たち罪人を救うために、人となり、さらに十字架の苦しみを受け、罪人の救い、私たち人間への愛を示されたのです。
戦時中、台湾でのキリスト教迫害は、昭和17 年から始まったそうです。当時、台湾にいらっしゃった小池章三牧師も多くの迫害を受けました。そんなとき、小池牧師夫妻を助けてくれたのは、台湾の人々、高砂族( アミ族) のクリスチャンたちでした。夜、こっそりと、野菜や食料をもってきては、キリストの福音の話を聞いていきました。長い年月が過ぎ、89歳になった頃、「台湾の人々にどんなに助けられたか知れない。あの人々に会いたい」と小池牧師は、娘に語ったそうです。キリストの福音をもって、台湾に渡り、神の愛を伝えた小池章三牧師は、今度は、台湾の人々の愛によって命を救われました。また、今でも台湾には小池牧師から洗礼を受け、牧師となった人が伝道を続けているのです。人々に神の愛を伝えています。
宗教(レリジョン)の語源は、ラテン語のレリゴー(再び結びつく)です。神から離れてしまった魂が、再び神と結びつくこと、これが宗教というものです。そして「愛は全てを結ぶ帯である」と聖書は教えています。愛をもって、再び私たちの魂を神様と結び合わせるために、イエス様はこの世に、いらっしゃったのです。
2009年12月6日日曜日
『主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。』詩篇139編1節
ビートルズのLet it be という曲、”Let it be” を「なすがままに」などと訳されていますが、この台詞は受胎告知の際、マリアが天使に答えた言葉”be it to me according to your word."「お言葉どおりこの身になりますように」から来ているのです。処女懐胎という信じられないような出来事を、全知全能の神にお出来にならないことはないと信じ、全てを神におゆだねした言葉なのです。
『主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。』詩篇139編1節
神様は全てを知っておられ、何でもお出来になります。また、御心にかなうことならば、キリストの名によって祈るとき実現してくださいます。私たち人間にとって不可能なことも神様にお出来にならないことはありません。マリアのように素直に信じ、神様にすべてをおゆだねしましょう。
12月8日は日米開戦、真珠湾攻撃の行われた日です。クリスマスを前に、この日前後は暗い思いになってると、海軍将校だった牛込キリスト教会の佐藤陽二牧師は著書に記しています。彼が家族とアメリカに行く途中に、戦艦アリゾナ(真珠湾攻撃で沈んだ)記念館を訪れたとき、当時7 歳だった長男が「おとうさん、日本の海軍、ひきょうじゃなかったの?」と聞きました。佐藤牧師はなにも答えなかったそうです。その後、彼はアメリカで旧約聖書を学びました。また、彼が敵と思い定め、戦ったアメリカと彼の子どもは、あたりまえに交わっているのです。戦後、広島の惨状をみて、一度はアメリカへの復讐を考えた彼自身よりも、神様はより深く彼を知っていたのです。神様の御心は人間の想いをこえています。不可能と思えることも神様にはお出来になるのです。
神様は全てを知り、何でもお出来になります。わたしたちは素直に信じ、神様に全てをおゆだねしましょう。
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