2009年10月11日日曜日
『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』列王記上17章1節
神社のご神体が何であるのか確かめようと、私の父は子供の頃、祠を開けてみると、そこには石が入っていました。近くにある別の石と取り替えて、罰が当たるかどうか試してみたそうです。しかし、何も起こりませんでした。本当の神様だけが生きておられ、私たちを導いてくださいます。
『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』列王記上17章1節
預言者エリヤは分裂王国時代、北王国、イスラエルで活躍しました。偶像礼拝をするイスラエルの王アハブに対し、「主は生きておられる」と非難し、命を狙われることになります。しかし、神様は人間には不可能と思われる様な方法で、エリヤを助けました。現代でも神様に従う時、私たちは生きている神様の業を見ることが出来るのです。
クリスマスまで、あと二日しかありませんでした。以前は伝統ある教会でしたが時代の流れで寂れてしまい、また雨漏りで壁が崩れ、それを隠そうと新任の牧師夫妻は、フリーマーケットでテーブルクロスを買いました。教会に帰ったところ、年老いた女性がバス停で寒そうにしていました。「次のバスまで40分はありますよ」と声をかけ、その人を教会に招きました。彼女は頭を垂れ祈り、顔を上げると先
ほど手に入れたばかりのテーブルクロスが目に入りました。その女性は、「このテーブルクロスの後ろにEBC というイニシャルがありませんか」と尋ねたのです。牧師が確かめると、テーブルクロスにはEBC とサインがありました。 実は、それは、彼女がアメリカに来る前、オーストリアでの新婚時代に作ったものでした。しかしナチスによる迫害で、家を追われ、夫と生き別れ、アメリカへ逃げてきたのです。
時と海を越え、自分が幸福だった頃つくったテーブルクロスと再会しました。牧師は、その女性を家まで送りました。さて、クリスマスに多くの人が教会に集まってきました。礼拝が終わったあと、老いた男性が一人教会に残り、テーブルクロスを見つめているのです。その男性は言いました。「これは手作りですね。妻が作ったものにそっくりです。」と。牧師は名前を確認すると、あの女性の生き別れの夫だったのです。牧師は男性を彼女のもとへ連れて行きました。実に、35 年の歳月を経て、ナチスの迫害によりオーストリアで生き別れになった夫婦が再会したのでした。
「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」とパウロは言っています。生きておられる神様は、私たちをあらゆる方法で導いてくださいます。神様だけに望み、正しく歩みましょう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿