
英語を学ぶのに、文法は必要がないとと言った風潮があり、実際、中学校では会話表現の方が重視され、以前程、文法を教えていません。しかし、正しい方法で覚えていかないと、英会話も出来ません。先人たちが行ってきた事には、それなりの理由があるのです。
「あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、主の目にかなう正しいことを行いなさい」 申命記 6章17・18節
信仰生活は、古い認識や知識のうえだけに立ってはならず、今の価値観や自己流の信仰生活では、正しく生きる事はできません。聖書を学び、そこから神様に喜ばれる生き方を常に学ばなければならないのです。
「必要以上の税を集める事は、合法的強盗である」米国30 代、クーリッジ大統領はそんな名言を残した人でした。彼は、ホテルに泊まっている時、自分の服を探っている泥棒を捕まえました。しかし、警察に突き出すのではなく、その若者と話をしました。その泥棒は、盗んだ相手が大統領と知り、理由を話しました。大統領は、彼を信用し逃がすだけでなく、32 ドルを貸したのです。結局、その男は32 ドルをローンで全額返済したそうです。十戒には「盗んではならない」とあります。これは、今でも守らなければならない事です。しかし、クーリッジ大統領は、クリスチャンとして、その若者の危機を知り、法を守るものであるまえに、父親や友人のように接したのです。そして、大統領は、彼が、その愛の行為に答えてくれると信じたのです。
わたしたちクリスチャンに必要なのは、過去の決まりごとに従うだけでなく、現在の価値観に捕われるだけでなく、神様のみに従い、イエスさまがなさったように行動し生きる事を求められているのです