ページ

2010年1月24日日曜日

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」テモテの手紙2 3章15節



 弟が誕生日に「聖書物語」という絵付きの聖書をもらったことをきっかけに、4歳ごろから、毎晩、布団に入るまえに聖書を読むことが習慣になりました。それ以来、もう何回も繰り返し、繰り返し聖書を読んでいます。小学生の頃には、一通り聖書の物語は知っていました。

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」テモテの手紙2 3章15節

 聖書は、目には見えない神様がおられる事と、イエス キリストの十字架による神様との和解の手段を示しています。聖書を読むと、私たちは罪深く、十字架による救い以外に方法がない事を知ることができます。聖書はイエス キリストによる罪の赦し、心の癒し、清め、救いを受けさせる書物です。

 中3の夏休みにアメリカで一ヶ月間ホームステイをしました。そのとき聖書を持っていき、初めて、習慣ではなく自分の意志で聖書を開いて読んだのだと思います。ひとつひとつの御言葉が魂に響いてきた事を覚えています。ただ漠然と読んでいた時には気が付かなかった、イエスさまの救いの御言葉が、まるで初めて読んだように、新鮮に感じられました。それは、今でも同じことです。

 聖書は、私たちにいつでも語りかけてきます。イエス キリストによる十字架の救い、罪の赦し。どんな時でも、私たちを真理に導いてくれる、ただ一つの書物なのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿