2011年6月5日日曜日
「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れ たところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見 ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節
「人は見た目が9 割」と言う本が数年前に話題になりました。また、「空気が読めない」という言葉がよく使われます。一緒にいる周りの人の気持ちがわからないという意味だそうです。しかし、人の目ばかりを気にして、神様のことを忘れてしまってはいけません。
「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節
「祈るとき、偽善者のようではいけない」とイエスはイエスは教えました。偽善者と訳されたギリシア語は「仮面をかぶったの役者」を意味する言葉です。祈りは口先のものではなく、神との結びつき求めるものなのです。
「聖書には誤りがありえぬとしても、(聖書注解者や説明者のうちには)誤りを犯すものもあるかもしれません。そのうちでもっとも重大でよく起こる誤りは、つねにことばの( 文字通りの意味に) 固執しようとする場合で、こういうときはさまざまな矛盾だけでなく、重大な異端や冒瀆さえ生じかねないからです…( 聖書のうちにはむきだしのことば通りにとると、真実とはかなり異なったおもむきになる表現が多く、これは十分な理解力をもたぬ俗衆にも納得ゆくように工夫されたものですから、) 大衆とは一律にできない少数の人々のためには懸命な注解者がその本当の意味を述べ、そのようなことばが述べられた特別の理由を示すべきです…」。これは、地動説のガリレオ・ガリレイの手紙の一節です。この手紙から、ガリレオが聖書を良く読み、祈っていた人である事がよくわかります。ガリレオは、独り、神と対話し、その祈りの中で力を受けていたのです。
「祈祷の人とは~祈祷を以て事を成す人である」と内村鑑三は言いました。神との対話のとき、独りで神に祈るとき、この世の雑音から隔離され、神の御声が聞きやすくなります。自らを聖別されたものとして、何をなすべきか発想が与えられます。心の底にある不安や恐怖を、誠実に神の前に注ぎ出し、へりくだりましょう。神からこの世に立ち向かう聖霊の力をいただき、希望と勇気が与えられるのです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿