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2010年6月20日日曜日

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」ヨハネによる福音書12章24節



 大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに、 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。 偉大なことができるように健康を求めたのに、 より良いことをするようにと病気を授かった。 幸せになろうとして宝を求めたのに、 懸命であるようにと貧しさを授かった。 世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに、 神の助けを知るようにと失敗を授かった。 ( 無名の人の祈り )

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」ヨハネによる福音書12章24節

 「一粒の麦」とは、イエス様のことです。イエス様に従うクリスチャンも一粒の麦となれます。自己中心さを悔い改め、神様と人に命を捧げることによって、愛に満ちた価値ある人生が与えられます。ステファノは、迫害を受ける中「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫びました。

 サイゼリヤば、ファミリー・レストラン業界で、不況の中でも売り上げが伸ばしています。創業者は、会長の正垣泰彦氏です。品質を落とさず合理化を図り徹底した効率化、無駄を省くこ とでコストを下げ、そして社会貢献のために、商品価格を下げ続けてきました。正垣氏の経営方針には、母親の教えが染み込んでいます。、成功とは、自分の心が正しくなることなのだと教えられました。サイゼリヤの会長室には、正垣氏のお母さんが送った書が額に入れられています。文頭の一節です。これは、有名なカトリックの祈りです。

 人が神様に用いられるのは、自己中心さを悔い改め、自分のためだけの目的や野望を捨てる時です。個人的な野望を捨てて、神様と人に命を捧げる生き方が、価値のある人生です。地に落ちた一粒の麦となって、多くの美を結ばせていただきましょう。

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