2010年7月18日日曜日
「わたしたちは、自分自身を宣のべ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。コリントの信徒への手紙二4章5節
クリスチャン弁護士の佐々木満男先生は「ビジネスと信仰」という題の講演の中で、「信仰とビジネスは共に聖書の原理に従うべきである。信仰とビジネス( 職業・社会生活) を一致させた人々も大勢います。例えば、矢内原忠雄氏( 東大総長)、速水優氏( 日銀総裁)、三谷康人氏( カネボウ専務) などです。周囲から( 社会から)さまざまなバッシングを受けましたが、その信仰のゆえに職業生活を通して神さまの栄光を現しています。」 と言いました。
「わたしたちは、自分自身を宣のべ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。コリントの信徒への手紙二4章5節
パウロは、自分が何かを成し遂げたのではなく、自分の実力ではなく、キリストの栄光が彼に現れたのだと、そして、全ては、全ての人の救いを求めるイエス・キリストのため、人々に仕え、イエス様が救い主であることを伝えることが、彼の務めであると書きました。
戦後のアジアは、反日感情ばかりあると思われがちですが、インドネシアは親日国です。それは戦時中、インドネシアを統治していた陸軍大将・今村 均の政策のお陰です。蘭印解放後、今村 均司令官は、禁止されていたインドネシア語を復活、インドネシア人に自由を与えます。また、独立運動の指導者スカルノ( インドネシア初代大統領) を釈放し、更に、捕虜となった英国・オランダ軍将兵を大切に扱い、家族と自由に公園を歩かせ、将校にはサーベルの携帯を認めるなど、軍人としての誇りも保たせました。今村 均は6 歳のころ親しい老婦人に連れられて甲府教会の日曜学校に通い始め、イエス様を主、人生の師として信仰生活を送るようになります。時代、立場の制約から、洗礼を受けませんでしたが、陸軍大将に昇り詰めても決して威張らず、毎朝、正座して聖書を読み、自分のことよりも部下や関係者のため、敵のためにさえ祈り続ける生活を送りました。「受けるより与えるほうが幸いである」、「敵を愛せよ」と教えられたイエス様に忠実に従った生涯だったのです。
クリスチャンは人や自然を神さまにせず、創造主なる神さまに従いましょう。イエス様を救い主(キリスト)と宣べ伝え、自己中心的ではなく、イエス様のために人に仕える人生を送りましょう。
「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」使徒言行録11章26節
ある市で、小学5 年生と中学2 年生全員にアンケート調査をしたところ、「生まれてこなければよかった」と考えたことのある子供が3 分の1 もいたそうです。こんな豊な日本で、生きていることを喜べない子供がいます。人間にとって、最も悲しむべきことは、病気や貧困ではなく、自分は、役に立たない、不必要な人間だと、思い込むことです。
「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」使徒言行録11章26節節
クリスチャンという言葉は、最初は軽蔑、小馬鹿にしたあだ名でした。しかし、アンティオキアのクリスチャンたちは、その生き方によって、軽蔑された名前を全ての人を驚かせる程の勇気と愛の名前にしました。
マザー・テレサは、この世の最大の悪は、孤独な人に対する愛が足りないことだと考えました人は、誰かを愛し、誰かから愛されることで生きていけるのです。マザー・テレサは「世界平和を実現するためにどうしたらいいですか」という質問に、「家に帰って、家族が喜ぶ様なことをしてあげることです。」と答えました。神から愛されていることを知った時、人を愛せるようになります。人への愛の業を行うとき、神の国の幸せを体験できます。「人はみな、神のおられる天国にあこがれる。だが、今すぐいっしょに天国にいることができる。それには、今このときに、いっしょにしあわせであること。ただし。いっしょに、今、しあわせでいるということは、神が愛したように愛し、 神が手助けなさるように手助けし、神が与えるように与え、 神が仕えるように仕え、 神が救うように救い、四六時中いっしょにいて、苦しむ人の姿をとっておられる神に手を触れることである。」 『マザー・テレサ』( 女子パウロ会刊)
イエス様は、友人、敵、知人であろうがなかろうが、自分に利益が、あろうがなかろうが、愛しなさいと教えられました。神は愛であり、愛のない人生に価値を見いだすことは出来ないからです。イエス様に従い、その姿に近づかせていただくことが、クリスチャン、キリスト者なのです。
2010年7月11日日曜日
「神がイエス・キリストによってーこの方こそ、すべての人の主ですー 平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。」使徒言行録10章36-37節
フランスの啓蒙思想家ヴォルテール(1694 ~ 1778) はカトリックを批判し、「百年もすれば、聖書は博物館でしか見かけない忘れられた本になるだろう」と予言しました。それから百年後、彼の家は聖書協会の建物になっていたといいます。霊感の真偽は、それが聖書の言葉と一致しているかどうかにかかっているのです。
「神がイエス・キリストによって-この方こそ、すべての人の主です- 平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。」使徒言行録10章36-37節
イエス様は、全ての人の救い主なのです。神さまは聖書の御言葉を通して、夢や幻を通して預言者に語り、霊感を与えました。ペトロは異邦人を、全世界の人を、受け入れなさいというメッセージの幻を見て、霊感を得たのです。
ライオン株式会社株の創業者・小林富次郎氏(1852 ~ 1910 年 埼玉県出身) は、マッチ製造を手がけ、世界へ輸出しようとフランスから最新鋭の機械を導入しました。しかし、操業直前、大洪水が起こり、無一文どころか賠償まで負わされ、自殺以外にないと考えたました。その時、「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」( ヘブライ 12:11)という聖書の言葉を思い出します。3 年前、洗礼を受けたときに牧師からの言葉でした。今の苦難も、神さまはお見通しで、生死の瀬戸際でこの言葉を思い起こさせてくださったと、気付かされました。「この試練は私を鍛え、成長させるためのもの。」と、霊感を受け、もはや死にたいとは思わなくなりました。富次郎は工場の機械を売却し、小林富次郎商店を開設、牧師から歯磨き粉の製造方法を聞き、研究して発売しました。1896 年には「ライオン歯磨」のブランドで歯磨き粉を発売、これが大ヒットし、今日のライオングループの礎を築くこととなりました。晩年は伝道に熱を入れ、このような信仰は一族に受け継がれて、その中から牧師や伝道者を輩出しました。
救いの御言葉は、自分たちだけではなく、全世界の人々に広められなければなしません。聖霊により霊感をいただき、聖書の御言葉を、福音を宣べ伝えましょう。
2010年7月4日日曜日
「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために 死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。ローマの信徒への手紙5章8節
「ここで待っていなさい」と母に言われ、13 歳の少年は、3 日間、母を待ちました。絶望した少年を、あるクリスチャンが、教会の青年キャンプに連れていきました。そこで彼は、イエス様の話を聞き、神さまの愛に触れ、イエス・キリストを救い主として受け入れたのです。ビル・ウィルソンは、牧師になり、スラム街の子どもたちに福音を伝え、毎週2 万2 千人の子どもたちに、神さまの愛を教えています。
「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。ローマの信徒への手紙5章8節
罪とは、神さまに背を向けて生きることです。赦されることにふさわしくない私たちに、神さまはひとり子イエス様を遣わしてくださり、罪を赦すため十字架に架けられました。これが、私たちに対する神さまの愛なのです。
ストーミー・オマーティアンは、UCLA で音楽を専攻し、テレビやラジオなどで活躍する歌手になりました。しかし、母親からの虐待の影響で、学生時代から薬物や男性関係に幸せを求めていました。また、自分は魅力のない役立たずだと思い込み、自己嫌悪に満ちていました。ストーミーが28 歳のとき自殺を決意しましたが、それを感じた歌手仲間のが、彼女を教会の牧師と面会させました。「イエス様を自分の救い主として認め、受け入れるなら、神様と親しく歩み始めることができ、過去は赦されます」と聞き、イエス様は、冷たく断罪的な神とは違っているように感じました。次の日曜、教会に行くと、力強い超自然的な愛が満ちあふれているのを感じました。「ここには命がある。これは本物だわ」と彼女は確信したのです。罪を赦していただくことを確信し、母親の虐待を赦すことを知った彼女は、悪い習慣から努力しなくても解放されていきました。その後、神さまの愛を証するために歌い、講演し、苦しみに満ちた過去は、同じように苦しむ人たちを救いに導くために用いられるようになりました。
どんな生い立ちや過去があろうとも、悔い改める者に、神さまは愛と恵みをくださり、本当に価値のある素晴らしい人生を与えてくださいます。
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