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2010年7月18日日曜日

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」使徒言行録11章26節



 ある市で、小学5 年生と中学2 年生全員にアンケート調査をしたところ、「生まれてこなければよかった」と考えたことのある子供が3 分の1 もいたそうです。こんな豊な日本で、生きていることを喜べない子供がいます。人間にとって、最も悲しむべきことは、病気や貧困ではなく、自分は、役に立たない、不必要な人間だと、思い込むことです。

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」使徒言行録11章26節節

 クリスチャンという言葉は、最初は軽蔑、小馬鹿にしたあだ名でした。しかし、アンティオキアのクリスチャンたちは、その生き方によって、軽蔑された名前を全ての人を驚かせる程の勇気と愛の名前にしました。

 マザー・テレサは、この世の最大の悪は、孤独な人に対する愛が足りないことだと考えました人は、誰かを愛し、誰かから愛されることで生きていけるのです。マザー・テレサは「世界平和を実現するためにどうしたらいいですか」という質問に、「家に帰って、家族が喜ぶ様なことをしてあげることです。」と答えました。神から愛されていることを知った時、人を愛せるようになります。人への愛の業を行うとき、神の国の幸せを体験できます。「人はみな、神のおられる天国にあこがれる。だが、今すぐいっしょに天国にいることができる。それには、今このときに、いっしょにしあわせであること。ただし。いっしょに、今、しあわせでいるということは、神が愛したように愛し、 神が手助けなさるように手助けし、神が与えるように与え、 神が仕えるように仕え、 神が救うように救い、四六時中いっしょにいて、苦しむ人の姿をとっておられる神に手を触れることである。」 『マザー・テレサ』( 女子パウロ会刊)

 イエス様は、友人、敵、知人であろうがなかろうが、自分に利益が、あろうがなかろうが、愛しなさいと教えられました。神は愛であり、愛のない人生に価値を見いだすことは出来ないからです。イエス様に従い、その姿に近づかせていただくことが、クリスチャン、キリスト者なのです。

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