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2010年8月22日日曜日

「 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」使徒言行録27章25節



 ジョージ・ミュラーは、ロンドンで牧師となりました。ミュラー夫妻は、浮浪児を助け、寄付を募らず、信仰と祈りだけに頼ることで、神さまが生きて働いておられることを、人々に証ししたいと願いました。すると、神さまはいつも必要な食物を備えてくださり、借家で30 人の孤児を収容して始まった救済事業は、25 年後には、2000 人以上の孤児が収容できる施設へと発展しました。

「 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」使徒言行録27章25節

 パウロは嵐の舟の上、絶望的な状況の中で確信を持って人々に言いました。神の目的を妨げるものはありません。どのような試練があろうとも、神の目的がわかっているならば、神のみこころのうちを歩むならば、迷うことはありません。

 戦前、シュレーヤ宣教師夫妻は盛岡にが遣わされていました。そこの農民は、貧困、栄養失調、疫病に苦しみ、迷信が多く、借金や貧困のため、娘達を売っていました。宣教師夫妻は宗教教育センターを設立、幼児教育、保護者や幼稚園の先生の教育、貧しい娘たちの教育、青年活動、職業訓練などを始めます。センター内には図書館があり、聖書、英語、ドイツ語等も教え、レクリエーションも行われ、盛岡で最初の文化的設備で、神さまの教えと、奉仕と愛の精神が説かれたのです。しかし、戦争が始まり、シュレーヤ宣教師はスパイ容疑で逮捕されました。牢屋の中で、イザヤ54 章10 節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」の御言葉が支えでした。壁に十字架とクリスマスツリーを描き、クリスマスを祝いました。彼は半年後、釈放され、米国に帰されます。米国で夫妻は、「日本は米国のように平等な民主主義ではないので、
上からの命令にいやでも従わなくてはならないのです。日本人はみんないい人です。戦争が終わって、私たちがまた日本へ行ったら、みんな心から歓迎してくれることを確信しています」と訴えました。終戦までの3 年間、講演を1000 回以上行い、その体験を『嵐の中を』という本にまとめたのです。戦後、シュレーヤ宣教師は再来日し、岩手医大や短大で聖書の講義をし、1980 年天に召されました。

 神さまは必ずよいご計画をお持ちであり、私たちを最善の道へと導いてくださるのです。神さまに従うのがクリスチャンの務めです。イエス様の栄光を表す力は、信仰により実を結んだ出来事と、御言葉に対する信頼から与えられるのです。

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