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2011年6月26日日曜日

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」ヤコブの手紙1章22節



 パン製造業最大手、山崎製パンは、国内のパン市場でシェア4 割を超え、年間売上約9 千億円です。この山崎製パンを率いるのは、クリスチャンの飯島延浩社長です。飯島社長がいつも立ち返る言葉は「さばいてはいけません。さばかれないためです」マタイの福音書7 章1 節です。

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」ヤコブの手紙1章22節

 ヤコブは、聖書を読んでどうするべきかわかっているのに、行わないのは自分を欺ことだと言っています。御言葉を実践する事は、つらく、損をするように感じることもありますが、」そのことを通して信仰は固く立つのです。

 山崎製パンは、あるコンビニから、かつてオリジナルの商品を作ってほしいという依頼がうけ、飯島社長は、その要請に応えようと話を進めていましたが、最後に、そのコンビニの社長が、これまでの議論を無視したような、無理な依頼をしてきました。そこで、飯島社長は「・・・ヤマザキパンはヤマザキパンでやっていきます」と言い、その依頼を断りました。その結果、売上高は減りましたが、飯島社長は、取引先の言いなりになって品質が守れなくなることの方を防ぎたかったのです。
 現在、池の上キリスト教会の責任役員を務める飯島延浩社長は、多忙にもかかわらず月に二回、日曜礼拝の一時間前に、自分で勉強した聖書の御言葉を語っています。
 物流や小売にこびない姿勢を、山崎製パンが貫けるのは、「周囲が何と言おうとも『神の御心にかなう』道を歩むべきだという信仰が飯島の中にあるからだ」と、「日経ビジネス」の記事で書かれていました。

 御言葉を離れて、人生に意味はなく、この世のどんなものも、頼りにはならず、神の言葉だけが不変であると知った人は、そのことを知っただけではなく、その御言葉を実践しましょう。

2011年6月19日日曜日

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。 そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節



 『求めなさい。そうすれば、与えられる。』こうした偉大な教えがもっと良く理解されていれば、実りない作曲の試みで、これほど多くの良質な五線紙が無駄になることもなかったろう」ブラームスは言いました。 音楽を通して御言葉を語り、名曲を作るという偉大な業がなせるよう「祈り」に生きた作曲家でした。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節

 厚かましく、ひるまずに求めることは、神にとって迷惑ではありません。神はわたしたちの厚かましい祈りを喜んで待っておられるのです。
 体重が約100kg あったジュリー・ハッデンさんは、45kg の減量に成功したクリスチャンです。米国のテレビ番組に、肥満の男女を減量プログラムに参加させ、誰が一番減量したかを競わせる番組があり、ジュリーさんは2 位となりました。13 才のときに洗礼を受けたジュリーさんは、自分が何から救われたのか、よくわかりませんでした。ただ、酒を飲まず、ダンスパーティーにも行かず、礼拝を決して休まない「良い」クリスチャンに、良いことが起こると信じていました。決まりごとを守るだけの信仰生活から、神さまと個人的な関係を持つ信仰生活へと変えられたのは、減量コンテストのテレビ番組の収録中でした。初めて内面的に神と直面するようになります。ジュリーさんは、減量プログラム中、祈っては、御言葉を思い出していました。その御言葉の一つは、「あなたは、わたしの内臓を造り/ 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/ 驚くべきものに造り上げられている」( 詩編139:13~14a) でした。彼女は、自分の体は素晴らしく造られているのだと、神さまに激励されたのです。
 減量など、個人的だと思われるような祈りでも、神はその人に必要であるとすれば、かなえてくださいます。また、そのことを通してジュリーさんは、決まりごとだけを守る教会生活から、イエス様を通して、神さまと個人的に交わる信仰へと成長できたのです。

2011年6月12日日曜日

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書6章33節



 働いていた会社が4 回も倒産した経験を持つあるクリスチャンは、独立を考え、老人介護の施設「みくに」を立ち上げました。教会員の協力などもあり、普通なら不可能と思えるような、億単位のプロジェクトをゼロから始め、キリスト教の愛の精神に立って、介護の仕事を続けています。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書6章33節

 天の父は、わたしたちが必要なものをご存知です。明日の事を心配せず、安心して祈り、働き、そして楽しみなさいと教えています。まず「神の国と神の義」を求めるとき、すべて必要なもの、ことは与えられるのです。

 「私は神学生としてトイレ掃除をしながら週20 ドルの収入で暮らしています。先生はこんな私にも、毎日曜、献金皿に収入の10%、つまり2 ドルを献げろと言われるのですか」と。教授は、「それを怠ってはならない。もし神を信頼しているのならば、神はあなたに、週18 ドルで暮らすほうが、20 ドルよりも豊かに暮らせる知恵を与えてくださるからだ」と言いました。シューラー牧師は、10%を献げようと覚悟を決めます。それから6 年後の1955 年、カリフォルニアで開拓伝道することになりました。そのためオルガンを買おうと友人が経営する楽器店に立ち寄ると、「1800 ドルの電気オルガンなら、400 ドルを頭金にして、残りは月々36 ドルの36 回払いでいいよ」と友人は言いました。6 ヶ月間は教団から月々375 ドルの収入があります。その10 分の1、つまり毎月37 ドルの献金を月々36 ドルの支払いにあてることにしたのです。普段から10 分の1 献金をする習慣がなければ、オルガンの購入はしなかったでしょう。これが開拓伝道の第一歩でした。その後開拓伝道は発展し、今ではクリスタルカテドラル教会というとても大きな教会で礼拝しています。

 まだ来ていない明日のための心配はいりません。明日は死んでしまうかもしれません。しかし、今、生かされている事を感謝し、神にいただいた時間を、神の使命のために使いましょう。これがキリスト者の生き方です。

2011年6月5日日曜日

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れ たところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見 ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節



 「人は見た目が9 割」と言う本が数年前に話題になりました。また、「空気が読めない」という言葉がよく使われます。一緒にいる周りの人の気持ちがわからないという意味だそうです。しかし、人の目ばかりを気にして、神様のことを忘れてしまってはいけません。

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節

 「祈るとき、偽善者のようではいけない」とイエスはイエスは教えました。偽善者と訳されたギリシア語は「仮面をかぶったの役者」を意味する言葉です。祈りは口先のものではなく、神との結びつき求めるものなのです。

 「聖書には誤りがありえぬとしても、(聖書注解者や説明者のうちには)誤りを犯すものもあるかもしれません。そのうちでもっとも重大でよく起こる誤りは、つねにことばの( 文字通りの意味に) 固執しようとする場合で、こういうときはさまざまな矛盾だけでなく、重大な異端や冒瀆さえ生じかねないからです…( 聖書のうちにはむきだしのことば通りにとると、真実とはかなり異なったおもむきになる表現が多く、これは十分な理解力をもたぬ俗衆にも納得ゆくように工夫されたものですから、) 大衆とは一律にできない少数の人々のためには懸命な注解者がその本当の意味を述べ、そのようなことばが述べられた特別の理由を示すべきです…」。これは、地動説のガリレオ・ガリレイの手紙の一節です。この手紙から、ガリレオが聖書を良く読み、祈っていた人である事がよくわかります。ガリレオは、独り、神と対話し、その祈りの中で力を受けていたのです。

 「祈祷の人とは~祈祷を以て事を成す人である」と内村鑑三は言いました。神との対話のとき、独りで神に祈るとき、この世の雑音から隔離され、神の御声が聞きやすくなります。自らを聖別されたものとして、何をなすべきか発想が与えられます。心の底にある不安や恐怖を、誠実に神の前に注ぎ出し、へりくだりましょう。神からこの世に立ち向かう聖霊の力をいただき、希望と勇気が与えられるのです。

2011年5月29日日曜日

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイによる福音書5章44節


 坂本龍馬を斬った男、今井信郎は明治維新後、キリスト教を迫害することが正しい事と考え色々な妨害をしていました。しかし、横浜の教会で説教を聞いた事により、回心し、キリストを受け入れる者となりました。そして、自分が殺した坂本龍馬の法事にも参加しました。キリストによって、神と人を愛する者に変えられたのです。

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイによる福音書5章44節

 敵を愛するとは、敵の祝福を祈り、善を施すことです。イエスは実際に敵を愛し、その愛を十字架で示されました。十字架は敵を愛する力の源です。敵を愛するならば、そこは神の国となるのです。

  蘭印をオランダから解放した今村 均司令官は、それまで禁止されていたインドネシア語を復活させ、インドネシア人に自由を与えます。また、オランダ軍に投獄されていた独立運動の指導者スカルノ(後のインドネシア初代大統領)を釈放し、オランダ軍に破壊されていた石油製油施設を復旧させました。石油販売価格をオランダ時代の半額にし、それにより彼らの生活は向上します。更に今村は、捕虜となった英国・オランダ軍将兵を大切に扱い、家族と自由に公園を歩かせ、軍人としての誇りも保たせました。今村 均とキリスト教との出会いは、6歳という幼い日でした。親しい老婦人に連れられて甲府教会の日曜学校に通い始め、生涯にわたりイエス様を主、人生の師として信仰生活を送るようになります。時代的、立場的な制約から、洗礼を受けることはありませんでしたが、陸軍大将という、組織の最高幹部に昇り詰めても決して威張らず、毎朝、誰よりも早く起床し、正座して心を整えて聖書を読み、自分のことよりも部下や関係者のため、敵のためにさえ祈り続ける生活を送りました。また、人生の歩みそのものが、「受けるより与えるほうが幸いである」、「敵を愛せよ」と教えられたイエス様に忠実に従った生涯だったのです。

 ただ、良い人間になろうとすると、それが重荷となり、人は良くなりませんが、イエスを受け入れると自由の恵みを得て、イエス様により贖われる神さまの愛に応えようと、人は良い業を行うことができます。イエス様を信じる人は、神さまとの関係が正しくされるのです。そして、どんな人に対しても、神さまに受け入れられ、愛されているという実感を人々に与えるのが、教会やクリスチャンの存在意義なのです。

2011年5月22日日曜日

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」ルカによる福音書6章31節



 「自分にしてほしくないことは、人にしてはいけません」と置き換えると、ただ、他人に迷惑をかけないように、ということになります。これは人間( 社会に生きる人) の最低限の基準です。麻薬取締の警察官が、「麻薬をやっている青少年に、人に迷惑を掛けているわけではないから、いいだろ」と言われることが、とても残念だと、言っていたそうです。

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」ルカによる福音書6章31節

 これは、黄金律( ゴールデン・ルール) と呼ばれる大切な教えです。神の愛をいただいた時、一番大切な「他人を愛すること」ができるようになります。

 「やっぱり、信仰を持っている人はちがうね」と、60 歳になって運転免許を取った田河水泡さん( のらくろの作者) は、にこにこしながら教会から帰ってきました。免許を取ったことを自慢すると、大抵の人は、「大丈夫ですか?気をつけなくっちゃいけませんよ。若い人と違いますからね。」と」心配するだけで、免許を取った本人のよろこびなど、問題にはしてくれませんでした。ところが、教会で免許を取ったことを言ったら、牧師や他の人が、「それは、良かったですね」と一緒に喜んでくれました。教会の人、キリスト者は、常に絶対者である神を信じ、魂のことを考え、人間の心情を大切にしている人たちです。まず、相手の気持ちを受け入れて、一緒に喜んでくれました。忠告などをする前に、相手の気持ちを受け入れて、共によろこび、共に悲しむ気持ちは、どんな人間関係にも大切なことです。

 「人に迷惑をかけるな」と世間では言います。しかし、神の愛を知る者は、全力で人を助けましょう。これが、神を愛する道、人生の目標なのです。「人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにしなさい」という、イエスの教え、さらに、これが守られるように、「求めなさい、そうすれば、与えられる」という約束を、わたしたちに与えられました。わたしたちは、神から恵みをいただけるので、人のことを考えることが出来るようになるのです。

2011年5月15日日曜日

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節



 交響曲の父と呼ばれたハイドンは、体も精神も弱って仕事が困難になったとき、しばしば心のなかにささやく声を聞きました。「この地上では、幸福で満たされた人々はとても少ない。皆、悲しみと不安に追い詰められている。いつの日か、お前の作品が、悩みつかれた人々に安らぎを与え、元気を回復させる泉となるだろう」この声に励まされハイドンは数々の名作を残しました。

「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節

 主は「地の塩、世の光になれ」と命じているのではありません。あなたがたは「地の塩、世の光」であると宣言しているのです。わたしたちが世の光たりえるのはキリストがわたしたちの中に住まわれるからです。

「究極の最高の人生を送っている」とオーストラリアの青年、デイビッド・リビィさんはうらやましがられていました。少し働いてたくさんのお金を稼ぐ事ができ、後は好きなサーフィンばかりして楽しんでいたからです。でも、デイビッドさんは心が満たされず、幸福感がありませんでした。ある時、クリスチャンのサーファーに出会い、彼が証の中で「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」( ヨハネ10:10) というイエス様の言葉を読みました。「豊かな命」、それが自分に必要だと思いました。なぜなら生きていても、命を感じることが出来なかったからです。そして教会に通いイエス様を信じて洗礼を受けました。好きなだけ酒を飲み酔っ払うという生活だった彼は、クリスチャンになってもしばらく仲間と酒を飲みに出かけていましたが、次の日には、それをしなければ良かったと思うようになりました。また、自分のすることがどんなに他の人達に影響を与えるかも考えるようになったのです。今は、日本人の奥さんと、サーフィンをする人たちに神さまの言葉を伝える働きをしています。今は日本で宣教師として、神さまの御用をしています。

 光であるイエスに告白し悔い改めましょう。神は、暗闇のような生活を消して下さり、人を救うことができる光の子としてくださいます。