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2010年10月10日日曜日

「見よ、主は御目を注がれる主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」 詩篇33篇18節



 アメリカの大きな教会の牧師が、朝食のとき高校生の娘を、きつくしかりつけてしまいました。娘は、そのままさびしく学校へ出かけていきました。自分にも間違いがあると気がついた、その牧師は、昼の仕事を全部断り、学校で校長にお願いして、昼食の時間に娘をレストランに連れて行きました。そして娘に朝のことを謝り、楽しく一緒に食事をしました。この牧師は、いつもイエス様の愛を忘れずに、間違ったことをしたら子ども達にも正直に謝り、真理から離れないように子育てをしました。今では5 人の子供は全員神さまを信じて、教会の仕事を手伝っています。

「見よ、主は御目を注がれる主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」 詩篇33篇18節

 「御目を注がれる」とは、神様の祝福があると言うことです。目に見えない神様の存在を意識し、どんなときでも従いうべきであります。

 ヘレン・ケラー(1880 ~ 1968 米国人) は、1 歳7 ヶ月で熱病にかかり視力と聴覚を失いました。そのため話すこともできなくなり、気性は激しくなります。そんなヘレンをサリヴァン先生は優しく愛し、握った手を使ったコミュニケーションと点字を教え、ラドクリフ大学( 現ハーバード大学) にまで通わせました。ヘレンは著書、『私の宗教』の中で、以下のように信仰告白をしています。「以前狭苦しい考えを持った人々から、キリスト教徒でない者は皆神の罰を受けると聞かされて、自然反抗心を起こしていました。それは、異教徒の中にも真理のために生き、真理のために死んだ人々がいることを知っていたからです。しかし、ヒッツ氏の訳した本を読んで、キリストこそ神を表し、新しい命を人に送り込むものであることを知りました。私が最も愛読しているものは聖書です。私の辞書には悲惨という文字はありません」と。宗教の枠を超え、イエス様に従う人は救われ、神さまに祝されることを知って、彼女は安心したのです。ヘレンは、「神様から愛を頂いて、他人への愛を成長させて頂くこと、これが人生の大切な目的であって、そのために目が見えていようと、見えまいと、関係な
いのだ」と言って、どの人も分け隔てなく愛しました。

 神さまの恵みを覚え、感謝することで神さまの愛を体験し、それぞれの立場でその愛を人々に分け与える人となりましょう。

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