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2010年10月24日日曜日

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピの信徒への手紙 4章13節


 ドイツ人のジョージ・ミュラーは、ロンドンで牧師となりました。ミュラーは、浮浪児を助け、寄付を募らず、信仰と祈りだけに頼ることで、神さまが生きて働いておられることを、人々に証ししたいと願いました。神さまはいつも必要な食物を備えてくださり、借家で30 人の孤児を収容して始まった救済事業は、25 年後には、2000 人以上の孤児が収容できる施設へと発展しました。

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピの信徒への手紙 4章13節

 大男で歴戦の勇士であるゴリアトに、まだ少年で武器も身につけていないダビデは、「わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。」( サム上17:45)と言いました。神様が勝利に導いてくださることを信じるとき、不可能と思えるような困難に立ち向かえるのです。

 「主よ あなたの平和をもたらす道具として私をお使いください。憎しみのあるところには愛を 不当な扱いのあるところにはゆるしを分裂のあるところには一致を…」
 戦乱の中、父親も毒殺されたマザー テレサが9 歳の頃、祈りました。やがて、彼女はインドのスラム街で人々の救済活動を行います。しかし、世間は彼女のやり方を批判しました。自己満足ではないのか、と言うのです。彼女は、批判を意に介さない態度を取りますが、内面では悩んでいました。友人の手紙に「神の偉大さに比べて、私はなんてちっぽけなのか。殆ど、無に等しいかもしれない。」と。自問を繰り返すマザー テレサに1979 年、ノーベル平和賞の受賞の知らせが届きました。受賞式で彼女は、共に祈りましょうと呼びかけまた。それは、「聖フランシスコの平和の祈り」でした。絶望の中、彼女に希望を与えた祈りです。

 私たちは、自分の力では勝てない戦いに直面することがあります。私たちは無力でも、神様が勝利に導いてくださる信仰を持って、困難に立ち向かいましょう。

< 平和の祈り> アッシジの聖フランチェスコ
ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
                     アーメン

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