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2011年7月17日日曜日

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・ イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。  ローマの信徒への手紙3章23・24節



 ヴォーリズ記念病院のホスピス「希望館」の細井 順医師は、浪人時代に放蕩息子と自分を重ね合わせ、イエス様を救い主として受け入れる謙遜な信仰を持ったクリスチャンです。そしてまた、自ら癌患者となった体験から、患者の気持ちが分かるようになり、人間はがんあってもなくても関係なく、その日、一 日平安に過ごせればよいのだと気づきました。「自分が何かしてやろう」というこの世的な発想を悔い改め、他人の深い欲求を満たせる、医者となったのです。

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・ イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。  ローマの信徒への手紙3章23・24節

 最初の人、アダムによって人類に罪、死が入り込みました。しかし、神様はご計画通り、イエス・キリストの死による救いの道開いてくださいました。

 ジェイミー・ジョージ氏は、社会主義国キューバでの牧師家庭に生まれ育った、世界的なバイオリニストです。 あるコンクールで、ジェイミーさんは一位と認められましたが、一位をもらうには、神さまへの信仰を捨てることが条件でし た。聖書には、人に従うよりも神さまに従う方が良いと書いてあるので、ジェイミーさんは断わります。すると、審査員の一人が共産主義政府を代表して、神を 信じないという書類に署名すれば、モスクワに行く奨学金をあげよう、君と家族全員が、より良い暮らしができるのだと説得しにきました。しかし、ジェイミーさんは、「僕の答えはもう分かっているでしょう。時間の無駄です」と答えました。その時、ジェイミーさんは僅か9 歳でした。少年ジェイミーは、自分でキリ ストへの信仰に立ったのです。 コンクールで優勝することよりも、イエス様に従ったジェイミーさんのことを、共産政府は、決して良いバイオリニストにはなれないと、あざ笑いま した。しかし、神さまのお導きで、自由の国、アメリカに渡り、
神のご栄光を表すバイオリニストとして世界的に活躍するようになったのです。

 神様の愛の対象として造られ、自ら神様に仕えることを期待されていた人類は罪を犯し、神から離れ、エデンの園から追放されました。しかし、神様はイエス・キリストによる救いを用意してくださっていました。

2011年7月10日日曜日

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。 男と女に創造された。  創世記1 章27 節



 「イメージが決まらず、構図が決まらず描けない時もありますが、主がいつも私と共に居てくださり、イエス様が私の為に描けるようにとりなしていてくださっていると思っています。私は、この世の画廊ではなく、キリストの専属作家として歩んで行ければと願っています。」画家、森岡 憲治さんは、信仰を持つ前、描けない時、酒に逃げ、タバコも一日に60 本程吸い、不規則な生活で、体を壊しました。無力さを教えられ、神との出会いがあり、森岡さんは受洗しました。

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。  創世記1 章27 節

 神に似せて造られたというのは、神の性質、聖さ、愛、義、三位一体性など宿すことです。しかし、人間はチリから造られ、神によって霊的な命を吹き込まれた存在です。神を離れては、チリに戻るだけなのです。

 クリスチャンのキム・ソン・アンナさんは、アメリカで日本人を対象とした日本語での悩み事の無料電話受付サービス、「日系ヘルプライン」( 命の電話) のコーディネーターとして活躍しておられます。相談の内容は、移民局、ビザ、永住権、法律、犯罪関連、交通事故、離婚、子どもの問題、ドラッグ、病院、学校、教育など様々です。特に多いのが、国際結婚した日本人女性からの相談です。キムさ
んは愛情をもって説いていきます。それぞれ、互いの文化をよく研究することが幸せにつながるし、国際結婚のみならず、日本に育っていても、互いの文化背景を考えながら結婚生活を続けて行くと、破綻せずに済む、とキムさんは主張しま
す。 キムさんは当初、「どうしてあなたは韓国人なのに日本人を助けることに一生懸命になっているの? 韓国人は日本人を憎んでいるんでしょう?」とよく聞かれたといいます。キムさんは、一言「わたしはクリスチャンだ」と言うと、それで問答は終わるといいます。

 人間は、神に似せて造られたのですから、聖霊の働きにより、神さまのお導きで何をすべきかが示されます。そして、強くて優しいイエス様の人格、生き方に近づかせていただくこと、イエス様を見本としまねすることで、人は強くて優しく、人に神から受けた愛を分け与えることができるようになれます。

2011年7月3日日曜日

「初めに、神は天地を創造された。  創世記1 章1 節



 ジョージ・フォアマンというボクシングの世界チャンピォンがいました。ずっと試合に勝っていましたが、とうとう負けてしまいました。ジョージは苦しみ、真剣にイエス様にこころを向けました。すると十字架のイエス様を心の目で見ました。それからジョージは10 年の間、イエス様の話を大勢にし、そのボクサーに復帰し、45 歳で再び世界チャンピォンに輝きました。今は、教会の牧師として伝道活動をしています。

「初めに、神は天地を創造された。  創世記1 章1 節

 神がすべてを創造されました。すべてのものの基準は神にあります。人間が中心ではなく、神が中心にあるということです。

 24 歳マギーは、教会に通っていましたが、「私はクリスチャンだ。」と言うのに悪口を言ったり、いやな事をしたりしている人を見て教会に行くのが大嫌いになっていました。ある日、新聞に「神さまを信じる人と信じない人のどちらが正しいか、対決する会がある」と書いてあり、マギーはクリスチャンの人達が負けるだろうと思って楽しみに見に行きましたが、圧倒的な強さでクリスチャンが勝ちました。マギーは「なぜクリスチャンが勝ったの?」と不思議に思い、そこの教会の勉強会に出席するようになりました。
 マギーは「イエス様は本当に自分の大切な人生をよくしてくれますか? 傷ついた自分を救ってくれますか? 自分が住むところも考えてくれますか? イエス様を信じることで健康で立派な人になれますか?」と問いかけました。教会に人達は真剣にマギーのために考えてくれました。マギーはこのように真実を語れる人たちをずっと求めていたのです。イエス様こそ本当に自分のことをそのまま受け入れてくださり、そのイエス様に従って生きている人達もそれを受け継ぎ同じようにしてくれることを知りました。「本物のクリスチャンってこんなに素晴らしい人なのだなあ。」とマギーは思いました。

 人が物事や事象の価値を決めること、自分を神( 基準) にすると、差別、犯罪、争い、混乱が生じます。「自分の人生だから好きにしていい」と開き直る人も少なくありません。創世記の始めに、神が創造主であり基準であると宣言されています。人間は神の栄光をあらわすために造られたのです。

2011年6月26日日曜日

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」ヤコブの手紙1章22節



 パン製造業最大手、山崎製パンは、国内のパン市場でシェア4 割を超え、年間売上約9 千億円です。この山崎製パンを率いるのは、クリスチャンの飯島延浩社長です。飯島社長がいつも立ち返る言葉は「さばいてはいけません。さばかれないためです」マタイの福音書7 章1 節です。

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」ヤコブの手紙1章22節

 ヤコブは、聖書を読んでどうするべきかわかっているのに、行わないのは自分を欺ことだと言っています。御言葉を実践する事は、つらく、損をするように感じることもありますが、」そのことを通して信仰は固く立つのです。

 山崎製パンは、あるコンビニから、かつてオリジナルの商品を作ってほしいという依頼がうけ、飯島社長は、その要請に応えようと話を進めていましたが、最後に、そのコンビニの社長が、これまでの議論を無視したような、無理な依頼をしてきました。そこで、飯島社長は「・・・ヤマザキパンはヤマザキパンでやっていきます」と言い、その依頼を断りました。その結果、売上高は減りましたが、飯島社長は、取引先の言いなりになって品質が守れなくなることの方を防ぎたかったのです。
 現在、池の上キリスト教会の責任役員を務める飯島延浩社長は、多忙にもかかわらず月に二回、日曜礼拝の一時間前に、自分で勉強した聖書の御言葉を語っています。
 物流や小売にこびない姿勢を、山崎製パンが貫けるのは、「周囲が何と言おうとも『神の御心にかなう』道を歩むべきだという信仰が飯島の中にあるからだ」と、「日経ビジネス」の記事で書かれていました。

 御言葉を離れて、人生に意味はなく、この世のどんなものも、頼りにはならず、神の言葉だけが不変であると知った人は、そのことを知っただけではなく、その御言葉を実践しましょう。

2011年6月19日日曜日

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。 そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節



 『求めなさい。そうすれば、与えられる。』こうした偉大な教えがもっと良く理解されていれば、実りない作曲の試みで、これほど多くの良質な五線紙が無駄になることもなかったろう」ブラームスは言いました。 音楽を通して御言葉を語り、名曲を作るという偉大な業がなせるよう「祈り」に生きた作曲家でした。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節

 厚かましく、ひるまずに求めることは、神にとって迷惑ではありません。神はわたしたちの厚かましい祈りを喜んで待っておられるのです。
 体重が約100kg あったジュリー・ハッデンさんは、45kg の減量に成功したクリスチャンです。米国のテレビ番組に、肥満の男女を減量プログラムに参加させ、誰が一番減量したかを競わせる番組があり、ジュリーさんは2 位となりました。13 才のときに洗礼を受けたジュリーさんは、自分が何から救われたのか、よくわかりませんでした。ただ、酒を飲まず、ダンスパーティーにも行かず、礼拝を決して休まない「良い」クリスチャンに、良いことが起こると信じていました。決まりごとを守るだけの信仰生活から、神さまと個人的な関係を持つ信仰生活へと変えられたのは、減量コンテストのテレビ番組の収録中でした。初めて内面的に神と直面するようになります。ジュリーさんは、減量プログラム中、祈っては、御言葉を思い出していました。その御言葉の一つは、「あなたは、わたしの内臓を造り/ 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/ 驚くべきものに造り上げられている」( 詩編139:13~14a) でした。彼女は、自分の体は素晴らしく造られているのだと、神さまに激励されたのです。
 減量など、個人的だと思われるような祈りでも、神はその人に必要であるとすれば、かなえてくださいます。また、そのことを通してジュリーさんは、決まりごとだけを守る教会生活から、イエス様を通して、神さまと個人的に交わる信仰へと成長できたのです。

2011年6月12日日曜日

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書6章33節



 働いていた会社が4 回も倒産した経験を持つあるクリスチャンは、独立を考え、老人介護の施設「みくに」を立ち上げました。教会員の協力などもあり、普通なら不可能と思えるような、億単位のプロジェクトをゼロから始め、キリスト教の愛の精神に立って、介護の仕事を続けています。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書6章33節

 天の父は、わたしたちが必要なものをご存知です。明日の事を心配せず、安心して祈り、働き、そして楽しみなさいと教えています。まず「神の国と神の義」を求めるとき、すべて必要なもの、ことは与えられるのです。

 「私は神学生としてトイレ掃除をしながら週20 ドルの収入で暮らしています。先生はこんな私にも、毎日曜、献金皿に収入の10%、つまり2 ドルを献げろと言われるのですか」と。教授は、「それを怠ってはならない。もし神を信頼しているのならば、神はあなたに、週18 ドルで暮らすほうが、20 ドルよりも豊かに暮らせる知恵を与えてくださるからだ」と言いました。シューラー牧師は、10%を献げようと覚悟を決めます。それから6 年後の1955 年、カリフォルニアで開拓伝道することになりました。そのためオルガンを買おうと友人が経営する楽器店に立ち寄ると、「1800 ドルの電気オルガンなら、400 ドルを頭金にして、残りは月々36 ドルの36 回払いでいいよ」と友人は言いました。6 ヶ月間は教団から月々375 ドルの収入があります。その10 分の1、つまり毎月37 ドルの献金を月々36 ドルの支払いにあてることにしたのです。普段から10 分の1 献金をする習慣がなければ、オルガンの購入はしなかったでしょう。これが開拓伝道の第一歩でした。その後開拓伝道は発展し、今ではクリスタルカテドラル教会というとても大きな教会で礼拝しています。

 まだ来ていない明日のための心配はいりません。明日は死んでしまうかもしれません。しかし、今、生かされている事を感謝し、神にいただいた時間を、神の使命のために使いましょう。これがキリスト者の生き方です。

2011年6月5日日曜日

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れ たところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見 ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節



 「人は見た目が9 割」と言う本が数年前に話題になりました。また、「空気が読めない」という言葉がよく使われます。一緒にいる周りの人の気持ちがわからないという意味だそうです。しかし、人の目ばかりを気にして、神様のことを忘れてしまってはいけません。

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書6章31節

 「祈るとき、偽善者のようではいけない」とイエスはイエスは教えました。偽善者と訳されたギリシア語は「仮面をかぶったの役者」を意味する言葉です。祈りは口先のものではなく、神との結びつき求めるものなのです。

 「聖書には誤りがありえぬとしても、(聖書注解者や説明者のうちには)誤りを犯すものもあるかもしれません。そのうちでもっとも重大でよく起こる誤りは、つねにことばの( 文字通りの意味に) 固執しようとする場合で、こういうときはさまざまな矛盾だけでなく、重大な異端や冒瀆さえ生じかねないからです…( 聖書のうちにはむきだしのことば通りにとると、真実とはかなり異なったおもむきになる表現が多く、これは十分な理解力をもたぬ俗衆にも納得ゆくように工夫されたものですから、) 大衆とは一律にできない少数の人々のためには懸命な注解者がその本当の意味を述べ、そのようなことばが述べられた特別の理由を示すべきです…」。これは、地動説のガリレオ・ガリレイの手紙の一節です。この手紙から、ガリレオが聖書を良く読み、祈っていた人である事がよくわかります。ガリレオは、独り、神と対話し、その祈りの中で力を受けていたのです。

 「祈祷の人とは~祈祷を以て事を成す人である」と内村鑑三は言いました。神との対話のとき、独りで神に祈るとき、この世の雑音から隔離され、神の御声が聞きやすくなります。自らを聖別されたものとして、何をなすべきか発想が与えられます。心の底にある不安や恐怖を、誠実に神の前に注ぎ出し、へりくだりましょう。神からこの世に立ち向かう聖霊の力をいただき、希望と勇気が与えられるのです。