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2010年9月26日日曜日

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」ペトロの手紙一 4章10節



 14 歳でプロのテニス選手になり、女子で世界2 位となったアンドレ・イェーガー。天才少女と言われた彼女は、19 歳で肩の故障のため引退しました。その後、神さまがもっと大きな仕事へと導いてくださることを信じ、彼女は、自分の持っているお金を全てささげ、立派な宿泊施設を建てました。そこは、癌と戦っている子ども達が1 週間無料で招待され、馬での散歩、いかだでの川くだり、釣り、水泳、工作など楽しい時間を思いっきりすごす施設です。アンドレはここで子ども達に神 の国の愛、笑顔、光、平安、喜びとエネルギーを与えています。

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」ペトロの手紙一 4章10節

 神さまからわたしたちに、優れているものが与えられています。それは、イエス様の愛を表すために使うように頂いた贈り物です。何が優れているかは、人により違います。それが集まると、パズルが出来上がる様に神さまのご用ができます。だから他の人の得意な所をうらやましがる事はありません。自分にとても大事な良いものが与えられている事を思い出して感謝しましょう。

 盲目の音楽の天才、レックス君(17 歳) は、どんな曲でも一度聴けば、すぐにピアノで弾けてしまいます。また、即興演奏が得意で、創造性に優れています。しかし、記憶力は乏しく、アパートの間取りも覚えられません。四角や三角の簡単な図形も分らず、一人でシャツのボタンもはめられません。レックス君は脳に大きな腫瘍があり、手術で取り除いても、盲目で自閉症という障害が残ってしまったのです。
 ショックでその現実を受け止められず、自分の人生は終わったと感じていた母親キャサリンの人生に、神さまが入ってこられました。キャサリンが教会に通うようになると間も無く、レックス君の2 歳の誕生日にキーボードが届けられたのです。するとレックス君は握っていたこぶしを開き、キーボードを弾き始めました。母は、それは神さまから直接与えられたものだと確信したといいます。5 歳半でピアノのレッスンを始めると、先生は、レックス君の演奏には、「神聖なる神の御手が働いている」と言いました。

 私たちに与えられた優れたものは、すべてイエス様を通して神様から頂いたものです。イエス様の愛をみんなに伝えるために、その得意なものを発揮しましょう。それは良い贈り物として人々の魂に届けることがでるのです

2010年9月19日日曜日

彼かれは答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」ルカによる福音書10章27節



 東京爆撃隊の爆撃手であった、J・デシーザーは、捕らわれて獄中で虐遇されているときに、なぜ人間同士がこうも憎み合わなければならないのかと考え、「憎悪を真の兄弟愛に変えるキリストの教えに心が向いた」と言いました。その後、彼は宣教師として、隣人として、神の愛を伝えるために、日本に戻ってきました。最初の年には、数千人の人がイエス様を受入れたそうです。

彼かれは答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」ルカによる福音書10章27節

 「自分のように」とは、「イエスさまが、自分のために十字架に架かってくださった」ということです。神さまは、同じ犠牲愛をもって、互いに愛し合いなさいと言われました。

 真珠湾攻撃隊の隊長で淵田美津雄さんという人がいました。彼は、戦争が終わってもアメリカ人を憎み、復讐を考え、アメリカ軍に虐待された日本人の話を聞き、訴えようと思いました。ところが、アメリカの女性から温かく世話をされたという話に心を動かされます。彼女の両親は宣教師をしていましたが、スパイだと疑われ殺されました。2 人は最後の時も聖書を開き、祈りを捧げました。彼女は殺された両親の祈りに応え、憎しみの気持ちを捨て日本人のために一生懸命世話をしたのでした。淵田さんは話を聞いて、なんて美しい話だろうと感動しましたが、なぜその女性が敵国の人達に優しくできたのか分 かりませんでした。ある日、淵田さんは渋谷に出ると、一人のアメリカ人が道行く人々にパンフレットを配っていました。そこには「私は日本の捕虜でした」と題してあり、アメリカの軍曹の写真が掲載さ れてあったのです。それはかつて東京爆撃隊の爆撃手であった、J・デシーザーの入信手記でした。彼は聖書を読んでみようと思い、聖書をあちらこちらとさぐり読みをしているうちに、ルカ23:34「父 よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり」のところで、彼はハッと、あのアメリカの女性の話が頭にひらめいたのでした。敵を赦す愛、彼はアメリカの女性の話がはっきりと分かりました。両親の祈りに思い至ったのです。その日、彼はイエス・キリストを救い主として受け入れました。

キリストは十字架上の死をもって、愛を実現されました。友の魂を救うために、命を献げる以上の愛はありません。

2010年9月5日日曜日

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」ヨハネによる福音書15章5節



 「 テーブルを4 人で囲み、聖書の話として、紙に鉛筆でぶどうの木を描きながら、『ぶどうの木』の話をしました。『この” 神様” という木の先の枝につながっている者は、いつまでも一緒なんだよ。この枝は純平、この枝は薫、これがお母さんで、これがお父ん』」。様々な理由で親と暮らせない子供たちの里親をしている坂本洋子さん著「ぶどうの木」からの抜粋です。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」ヨハネによる福音書15章5節

 イエス・キリストにつながっていると、人生は豊かな実を結びます。一方、肉が生み出す実とは、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。」とガラテヤの信徒への手紙5 章19 ~ 21 節にあります。

 坂本洋子さんの長男(最初の里子)純平くんは、17 歳で事故に遭い天に召されました。その当時、家から離れていた純平くんからの、最後の手紙の一節です。「俺は今、間違った考えをしていたことに気がつきました。俺はどこにいようと、お父さんとお母さんの子どもに変わりはないんだとあらためて思いました。『私はまことのぶどうの木、あなたがたは枝です』久しぶりにこの言葉を思い出しました。俺が児童相談所に行く前の日に、テーブルを囲んでお父さんお母さん薫ちゃんと4 人で聖書を読んでいる光景を今でもはっきりと思い出せます。~中略~ 又いつか一緒に暮らせるといいね。だけどもう無理かなと思うこの頃です。だけどそれでもOK。働いて近くにアパートを借りればいいことだし、それならいいでしょ?まァ、ずっと先のことだけど。それと10 月1 日に審判で少年院に行った場合、住所とかは調査員の人から連絡が行くと思うから。俺からも手紙書きます。いつも神様に祈っています。お父さんお母さんも薫ちゃんも秀樹君も朋美ちゃ
んも、体に気をつけて病気しないように頑張ってください。」長男の死を知った2 日後、「彼にしてやれなかったことを、新しい子にしてあげよう」と、夫妻は新しい里子を迎えにいきました。里親として、社会の無理解や差別と戦い、20 年以上、子ども達を「主につながる枝」とし、育てています。

 主につながる者は、お互いに愛し合います。絶えずイエスさまの救いを意識し、祈りましょう。主は、聖霊の力により、良い実を結ばせてくださいます。