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2009年12月27日日曜日

「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」列王記下6章16節



 2009年は、教会に何人も新しい方が来られました。神様に感謝いたします。神様は、この小さな群れを顧みてくださり、力の弱い私たちにもするべきことを教えてくださいました。普段の礼拝には10人程しか集まらない教会ですが、先週のクリスマスには、50人以上の人が集まり、キリストの誕生を祝うとともに、メッセージを伝える機会を得ました。

「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」列王記下6章16節

 イスラエルがアラムの王と戦っている時、アラム王は預言者エリシャのいる町を襲いました。弟子は狼狽えましたが、エリシャは神が共にいると諭し、主の軍勢が彼らを守ったのです。目には見えなくても主は私たちと共におられます。信じ従っていくとき、主は最善の方法を示されるのです。

 「災難というものはいいものだ失敗も全部、燃えてしまったのだから、新しくやり直せる」とエジソンは言いました。1914 年、自らの発明であり、不燃だと思われていた鉄筋コンクリートの工場が火災にあったときのことです。その失敗も前向きに捉えた彼は、数週間後には新しい工場で、世界初の蓄音機(レコーダー)を発明しました。聖書が愛読書であった彼は、逆境の中でも感謝し、前向きに物事を捉えることを知っていました。私たちキリスト者は、逆境の時でも悔い改めた時に、神様がすべてを最善に導いてくださいます。また、恵を多く受けている分、神と人のために良い業を行いましょう。

失望感が好ましくないと、フロイトは目標を立てる危険性を言いました。しかし、人間にとって真に危険なのは目標達成後に、新たな目標を持たず、成長が止まってしまうことなのです。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」フィリピの信徒への手紙2 章13 節

2009年12月13日日曜日

『 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』ヨハネの手紙一 4章9節



 12月12日土曜日、教会で結婚式を行いました。花嫁はミッション系女子高の卒業生であり、親戚にも、多くの卒業生がいるようでした。懐かしそうに大きな口を開けて、「いつくしみふかき」を歌っているお年寄りの姿が印象的でした。結婚式がきっかけとなり、また教会に行くようになればとお祈りしました。

『 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』ヨハネの手紙一 4章9節

 愛は神様からきました。だから互いに愛し合うように聖書は勧めています。神様は、私たち罪人を救うために、人となり、さらに十字架の苦しみを受け、罪人の救い、私たち人間への愛を示されたのです。

 戦時中、台湾でのキリスト教迫害は、昭和17 年から始まったそうです。当時、台湾にいらっしゃった小池章三牧師も多くの迫害を受けました。そんなとき、小池牧師夫妻を助けてくれたのは、台湾の人々、高砂族( アミ族) のクリスチャンたちでした。夜、こっそりと、野菜や食料をもってきては、キリストの福音の話を聞いていきました。長い年月が過ぎ、89歳になった頃、「台湾の人々にどんなに助けられたか知れない。あの人々に会いたい」と小池牧師は、娘に語ったそうです。キリストの福音をもって、台湾に渡り、神の愛を伝えた小池章三牧師は、今度は、台湾の人々の愛によって命を救われました。また、今でも台湾には小池牧師から洗礼を受け、牧師となった人が伝道を続けているのです。人々に神の愛を伝えています。

 宗教(レリジョン)の語源は、ラテン語のレリゴー(再び結びつく)です。神から離れてしまった魂が、再び神と結びつくこと、これが宗教というものです。そして「愛は全てを結ぶ帯である」と聖書は教えています。愛をもって、再び私たちの魂を神様と結び合わせるために、イエス様はこの世に、いらっしゃったのです。

2009年12月6日日曜日

『主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。』詩篇139編1節



 ビートルズのLet it be という曲、”Let it be” を「なすがままに」などと訳されていますが、この台詞は受胎告知の際、マリアが天使に答えた言葉”be it to me according to your word."「お言葉どおりこの身になりますように」から来ているのです。処女懐胎という信じられないような出来事を、全知全能の神にお出来にならないことはないと信じ、全てを神におゆだねした言葉なのです。

『主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。』詩篇139編1節

 神様は全てを知っておられ、何でもお出来になります。また、御心にかなうことならば、キリストの名によって祈るとき実現してくださいます。私たち人間にとって不可能なことも神様にお出来にならないことはありません。マリアのように素直に信じ、神様にすべてをおゆだねしましょう。

 12月8日は日米開戦、真珠湾攻撃の行われた日です。クリスマスを前に、この日前後は暗い思いになってると、海軍将校だった牛込キリスト教会の佐藤陽二牧師は著書に記しています。彼が家族とアメリカに行く途中に、戦艦アリゾナ(真珠湾攻撃で沈んだ)記念館を訪れたとき、当時7 歳だった長男が「おとうさん、日本の海軍、ひきょうじゃなかったの?」と聞きました。佐藤牧師はなにも答えなかったそうです。その後、彼はアメリカで旧約聖書を学びました。また、彼が敵と思い定め、戦ったアメリカと彼の子どもは、あたりまえに交わっているのです。戦後、広島の惨状をみて、一度はアメリカへの復讐を考えた彼自身よりも、神様はより深く彼を知っていたのです。神様の御心は人間の想いをこえています。不可能と思えることも神様にはお出来になるのです。

 神様は全てを知り、何でもお出来になります。わたしたちは素直に信じ、神様に全てをおゆだねしましょう。

2009年11月29日日曜日

『地の果てのすべての人々よわたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。』イザヤ書45章22節



 素粒子の研究に携わっている私の弟は、「人間の知っていることはほんの僅かだ。だから、神様の奇跡のことはそのまま受け入れれば良い」言いました。ほとんどの人が真実だと思っている科学でさえ、本当は真実にたどり着くことは出来ません。唯一の神様だけ本当に存在しています。そして、私たちを導いてくださっているのです。

『地の果てのすべての人々よわたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。』イザヤ書45章22節

 モーセに対し神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」とおっしゃいました。ただ一人、存在し生きておられる神様だけが、私たちを救い導いてくださいます。本当の神様だけを信じ、従っていきましょう。

 難病の筋ジストロフィを患っている人がいました。彼にイエス キリストが愛していることを知ってほしいと、ある牧師さんが毎週のように訪問しました。しかし、彼の心の闇は深く、牧師の言葉を受け入れることはありませんでした。そのまま、彼は施設に入りました。入所先を探し出し、面会に訪れましたが、「もう合いたくない」と拒否されたそうです。その後8 年位たったころ、その牧師さんは偶然、お茶の水のキリスト教書店で、彼に会いました。声をかけると、彼は「僕はあなたにあえるようにずっと祈っていたのです。僕は去年のクリスマスにバプテスマを受けたのです」と、喜びの輝いた顔で言いました。同じ施設で知り合ったクリスチャンを通してキリストを知ったのだそうです。それから間もなく、彼は天に召されました。彼の妹は「兄はすばらしい生き方をしたと思います。兄にイエス キリストを伝えた人々に感謝しています」と語りました。生きておられる神様は、わたしたちに本当の恵をくださいます。

 木や石で作られた偶像だけでなく、科学も真理ではありません。「わたしはある」とおっしゃった唯一、本当の神様だけが真理に導き、恵みを与えてくださるのです。

2009年11月22日日曜日

『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。』エレミヤ書1章7節



 子供を育てていると、言いたくないことでも、言わなくてはならないことがあります。3 歳の娘がふざけて、食事の感謝の祈りをしたときなど、やり直しをさせます。子供だからしょうがないとはいえ、言わねばならないことがあります。

『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。』エレミヤ書1章7節

 神様は預言者エレミヤに、南王国ユダの滅亡を伝えるように命じられました。このようなメッセージを伝えることは勇気だけでなく、神様の召しに対する忠実さが必要となります。しかし、働きに必要な力や能力は神様が備えてくださるのです。神様の召しに、迷わず従っていきましょう。

 内村鑑三は、第一高等中学の教師だったとき、教育勅語の奉戴式に、彼だけが最敬礼をしなかったために、免職になりました。また、その記事が全国版の新聞に載ったため、内村家の人々は国賊だとののしられ、石を投げられたりもしました。内村鑑三は、天皇を神として崇めることしなかったために迫害を受けましたが、神様への信仰を貫きました。

 神様は、私たちを用いてくださいます。進んで神様のご用を果たしましょう。

2009年11月15日日曜日

『主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。』ペテロの手紙二 3章9節・10節



 「エミール」の中で、フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは「子供をだめにする一番簡単な方法は、欲しい物を何でもあげることだ」と言っています。神様もわたしたちに何でも与えるのではなく、まず、しなければならないことを教えてくださっています。

『主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。』ペテロの手紙二 3章9節・10節

 神様はどんな人も、滅びることを望んでいません。だから、クリスチャンは全ての人に福音を述べ伝える必要があります。イエス キリストの十字架にのみ、救いはあります。全ての人を救いたいと考えている神様の愛を伝えましょう。

 マザー・テレサの施設に「死を待つ人の家」があります。今日、明日にも死んでしまうであろう人が大勢運ばれてきます。ある人が、マザー・テレサに「なぜ、すぐに亡くなってしまう人に、薬を使うのですか?彼らに薬をあげても意味はない。意味のある人に薬を使うべきだ。」と言ったそうです。それに対し、「患者さんは、よく死ぬことが必要なのです。」と答えました。生まれて初めて薬をもらった人た
ちは、「サンキュー」と感謝をします。その光景を「それは本当に美しい光景だ」とマザー・テレサは言いました。どんな人にも分け隔てなく、キリストの愛を分け与えていました。

 キリストから受けた愛を全ての人に分け与えましょう。福音を全ての人に伝えましょう。神様は、一人も滅びずに救われることを望んでおられるのです。

2009年11月8日日曜日

『主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。』詩篇6篇10節



 論文のテーマで悩んでいた学生に、1952 年プリンストン大学の客員教授だったアインシュタインは、「祈りについて探求しなさい。誰かが祈りについて調べなければならない」と言いました。アインシュタインの晩年の関心事は霊的な働きについてでした。

『主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。』詩篇6篇10節

 神のために苦労して死んだ預言者の遺族が生活に困り、預言者エリシャは、主に祈り、彼らの生活は救われることになりました。いまでも、主は私たちの祈りに耳を傾けています。苦しみや悩みの中にあっても、主を信頼し祈りましょう。

 全国に100 名しかいない癌専門の看護師 田村恵子さんは、淀川キリスト教病院のホスピスで多くの末期癌患者のお世話をしています。患者達は、死の恐怖や公開など、様々な苦しみを抱えています。まず、医療用麻薬を使い苦痛を和らげた後は、心の痛みをいやし、残された日々を穏やかに過ごせるように配慮しています。「希望は、必ず見つかる」と信じ、祈りのうちに患者達を励ましているのです。田村さんは、10 年程前、癌で亡くなった友人から「希望は、必ず見つかる」ということを学びました。その友人は癌になり、治療は終えたものの、再発を恐れ無気力になっていました。田村さんが、「何かしたいことはないの」と聞くと、その二ヶ月後、彼は「ピアノが好きなんだ」と言いました。田村さんが促すと、病院のロビーで演奏してくれました。患者達から大きな拍手が起きました。その頃から彼は変わり始め、病院に来てはピアノを演奏してくれるようになったのです。その後、癌が再発しましたが、彼は、ヴァイオリンを始めたり、フランス語を習ったり生活は充実していました。ホスピスに入院した後、生きた証を残したいと、それまで書き溜めた文章を本にし、その装丁見本が届いた数時間後に、幸せだったと笑顔を残して亡くなったそうです。田村さんたちが、患者達の希望を引き出せるのは、キリストにより魂の救いがあるからです。

 どんな苦しい状況でも、希望は見つかります。それは、祈りによってキリストと出会い、魂が救われ、絶望の人生に希望の光が差し込み、永遠の命へとつづく希望と喜び、平安が与えられるからです。

2009年11月1日日曜日

『神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。』エフェソの信徒への手紙4 章1・2a 節



 「ブルースは悲しみに始まり、悲しみに終わる。ゴスペルは時に悲しみに始まるが、終わりには必ず希望へとつながる」ゴスペルの女王、マリア・ジャクソンは。言いました。毎日曜、教会で歌い、評判があがるとナイト・スポットへの出演依頼もありましたが、拒否し、神様への讃美のためだけに歌いました。彼女は、アイゼンハワー大統領、ケネディ大統領の就任式にも招かれる歌手になったのです。

『神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。』エフェソの信徒への手紙4 章1・2a 節

 神様の働きを継承させるために、働き人を召し出されます。選ばれたからには、神様の期待に添った人生を歩む必要があります。様々な事柄は神様が備えてくださいます。だから、私たちは、神様の召しふさわしく、信仰と愛の実践が求められているのです。

 1940 年、ナチスドイツの迫害から逃れようと、ユダヤ人難民は日本通過のビザを求めリトアニアの日本大使館に押し寄せました。当時のリトアニア領事代理だった杉原千畝は、日本政府からの「ユダヤ人難民にビザを交付しないように」という命令もあり、悩み、苦しみ眠れない夜を過ごしていました。クリスチャンであった彼は、夜通し祈り続け、妻に「私を頼ってきた人を見捨てるわけにはいかない。でなければ、私は神に背くことになる」と語り、ユダヤ人らにビザを交付することを伝えました。その瞬間、彼らは躍り上がって喜んだそうです。それからおよそ一ヶ月間、朝から夜遅くまで、昼食もとらずビザを一人で書き続けました。総数2139 通。家族用のビザもあったので6000 ~ 8000 人のユダヤ人の命が救われたのです。彼は、政府の命令を無視したために外務省を解雇されました。しかし、彼は神から与えられた使命を、彼にしか出来なかった任務を勇気を持ち、愛をもって果たしたのです。

 私たちは全員、神様からの召しにあずかっています。牧師や伝道者だけでなく、全ての人は神様から、それぞれ賜物を与えられ、その与えられた能力や力をもって神様のお役に立つように生きていきましょう。神様から与えられた恵を、愛を、全ての人に与えていくのが私たちの使命なのです。

2009年10月25日日曜日

『 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助けわたしの救いの右の手であなたを支える。』イザヤ書41章10節



 小4 の女の子がいました。彼女は吹奏楽の発表のとき、いつも失敗してしまう難しい曲の前にお祈りしました。演奏中もお祈りしながら演奏したところ、失敗しないで出来たそうです。神様の力、励ましが祈りを通して現れたのです。

『 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助けわたしの救いの右の手であなたを支える。』イザヤ書41章10節

 エリヤは、彼を殺そうとする女王イゼベルを恐れ、そして逃げ出しました。迷い、失敗する弱い人間であるエリヤを、神様は勇気づけ、
励まし、再び立ち上がらせたのです。

 小学生の頃、セーフティネット( 彼さえいれば最下位にならない) とあだ名されていたベンジャミン・カーソン医師は、世界で初めて、頭でつながった結合双生児の分離手術を成功させました。彼は母親の信仰と祈りのおかげで、勉強も出来るようになってきた14 歳、些細なことから、彼は怒り、友人の腹をナイフで刺したのです。たまたま、ナイフがベルトのバックルに当たり、友人は助かり、彼は犯罪者にならなくてすみました。その時、彼は走って家に帰り、「自分は狂っているに違いない」と2時間、祈り続けたのです。祈り、そして聖書を読み始めると「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」箴言16 章32 節が目に入りました。まるで、自分一人のために書かれたように思えて、希望がわいてきました。彼の半生を描いた映画があります。その中で「イエス様こそ、私の人生、私の喜び、私のすべてです。主イエスこそ、日々の暮らしに力を与えてくださるお方、イエス様がおられなければ、私は倒れて倒れてしまいます。悲しい時には、私はイエス様の元へ行きます」と信仰告白をしています。

 弱く、無力な私たち。クリスチャンであっても神様なしでは、生きていくことは出来ません。神様はどんな時にも、私たちを力づけ、励まし、再び立ち上がれるように導いてくださるのです。

2009年10月18日日曜日

『 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。』列王記上18章24節



 原子より小さい素粒子も神様も目で見ることは出来ません。素粒子物理学者ランドール・フィスク博士は、科学的な見地から神は存在すると確信しました。いろいろな宗教を調べてみましたが満足できませんでした。しかし、聖書を読んでいると、これは本物だと心の中に告げるのもがありました。そして、あるクリスチャンの大きな集会に行った時、魂の中で神さまの御霊が喜んでいるのを感じたのです。

『 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」民は皆、「それがいい」と答えた。』列王記上18章24節

 異教の神バアルと、本当の神はどちらであるか、エリヤはカルメル山で戦いました。それは水を撒いた祭壇に神に祈って火をつけるというものでした。バアルは火をもって答える神と考えていた多くの人々の前で、エリヤは主に祈り、完全な勝利を得ました。神はただお一人であり、拝むべきは本当の神様だけなのです。

 脳に腫瘍があり、手術後も、盲目、自閉症と障害が残ってしまったレックス君は、どんな曲でも一度聴けば、すぐにピアノで弾け、即興演奏が得意で、創造性に優れた音楽の天才です。ところが、自分のアパートの間取りも覚えられず、一人でボタンもはめられません。母親キャサリンさんは、レックス君が生まれたとき、現実を受け止められず、人生は終わったと感じていました。そこに神様が入ってこられ、彼女が教会に通うようになりました。レックス君の2 歳の誕生日にキーボードが届けられました。レックス君は握っていたこぶしを開き、キーボードを弾き始めました。5 歳半でピアノのレッスンを始めると、先生は、レックス君の演奏には、「神聖なる神の御手が働いている」と言いました。「神さまとイエス様を信じていますか」と牧師が尋ねると、喜びを全身で表すようにこう、「もちろんです。僕はイエス様を愛しています。イエス様も僕を愛していてくださっています」と答えたのです。母は、息子の障害を知ったとき、死を意味した、と語ります。しかし、イエス様の贖いを知ってから、祝福が始まりました。神さまはキーボードを贈ってくださり、音楽の賜物を引き出されました。今や母子が共に喜び、人々に希望を与えています。

 この世にイエス様の名の他、救いはありません。本当の神様は、お一人だけです。私たちを導いてくださる神様だけに従い、正しく歩みましょう。

2009年10月11日日曜日

『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』列王記上17章1節



 神社のご神体が何であるのか確かめようと、私の父は子供の頃、祠を開けてみると、そこには石が入っていました。近くにある別の石と取り替えて、罰が当たるかどうか試してみたそうです。しかし、何も起こりませんでした。本当の神様だけが生きておられ、私たちを導いてくださいます。

『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』列王記上17章1節

 預言者エリヤは分裂王国時代、北王国、イスラエルで活躍しました。偶像礼拝をするイスラエルの王アハブに対し、「主は生きておられる」と非難し、命を狙われることになります。しかし、神様は人間には不可能と思われる様な方法で、エリヤを助けました。現代でも神様に従う時、私たちは生きている神様の業を見ることが出来るのです。

 クリスマスまで、あと二日しかありませんでした。以前は伝統ある教会でしたが時代の流れで寂れてしまい、また雨漏りで壁が崩れ、それを隠そうと新任の牧師夫妻は、フリーマーケットでテーブルクロスを買いました。教会に帰ったところ、年老いた女性がバス停で寒そうにしていました。「次のバスまで40分はありますよ」と声をかけ、その人を教会に招きました。彼女は頭を垂れ祈り、顔を上げると先
ほど手に入れたばかりのテーブルクロスが目に入りました。その女性は、「このテーブルクロスの後ろにEBC というイニシャルがありませんか」と尋ねたのです。牧師が確かめると、テーブルクロスにはEBC とサインがありました。 実は、それは、彼女がアメリカに来る前、オーストリアでの新婚時代に作ったものでした。しかしナチスによる迫害で、家を追われ、夫と生き別れ、アメリカへ逃げてきたのです。
時と海を越え、自分が幸福だった頃つくったテーブルクロスと再会しました。牧師は、その女性を家まで送りました。さて、クリスマスに多くの人が教会に集まってきました。礼拝が終わったあと、老いた男性が一人教会に残り、テーブルクロスを見つめているのです。その男性は言いました。「これは手作りですね。妻が作ったものにそっくりです。」と。牧師は名前を確認すると、あの女性の生き別れの夫だったのです。牧師は男性を彼女のもとへ連れて行きました。実に、35 年の歳月を経て、ナチスの迫害によりオーストリアで生き別れになった夫婦が再会したのでした。

 「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」とパウロは言っています。生きておられる神様は、私たちをあらゆる方法で導いてくださいます。神様だけに望み、正しく歩みましょう。

2009年10月4日日曜日

『主よ、お話しください。僕は聞いております』サムエル記上3章9節



 アメリカの有名な牧師が、ある教会員の家を訪ねたとき、子供が「お母さんは9 ~10時まで祈りの時間なのであえません」と言いました。40分程たって、母親が母親が出てくると、彼女の顔は平安に満ち、輝いていたそうです。その家の子供達は宣教師、牧師となりました。神の言葉を聞き、祈る母親は子供を正しく導きます。

『主よ、お話しください。僕は聞いております』
サムエル記上3章9節

 サムエルは神から話しかけられていることに気が付いたのは、祭司エリの助言があったからでした。祈りのとき、感謝や、望み、願いだけではなく、神様にまっすぐに向き合い、心から「主よ、聞いております。お語りください」と、神様からの言葉に耳を傾けましょう。

 「教師をしているのは、収入のためではなく成果のためである」と、全盲の高校教師、リチャード・ラッファローさんは語りました。彼は20 歳の頃、いずれ失明すると宣告を受けます。以後13 年、だんだん視力が弱まり、その視力とともに彼の人生も崩れていきました。好きだった陸上競技もできません。自殺を考え、友人や家族をののしり、酒に溺れてゆきました。32 歳で失明した時、高校の教師だった彼は辞職願いを出しますが、校長は、教師を続けられるようにアシスタントを雇ってくれました。信頼され必要とされていることを知り、彼は出来るかぎりよい教師になろうと決心し、翌1984 年、キリストを救い主として受け入れたのです。彼は生徒の声を二週間で覚えてしまい、声で誰なのか分かるようになりました。このことで、生徒らはどれ程、大切にされているかわかりました。神様も私たちの声を、ひとりひとり覚えていてくださり、祈り、そのお言葉に耳を傾けるとき、応えてくださるのです。1995年、彼は全米最優秀教師に選ばれます。また、障害を乗り来られることを示すため、陸上部の監督も続け、1988 年パラリンピックの円盤投げで世界記録と金メダルを獲得しました。

 自らの力にたより、キリストがいなくても人生が見える者は、闇の中を歩むことになります。キリストなしでは人生は闇だと知る者は、神様の語る言葉に耳を傾け、魂の目と耳が開かれ、キリストの救いを得るのです。

2009年9月27日日曜日

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書19章10節



 「アメージンググレイス」の作詞家、ジョン・ニュートン牧師(1725 ~ 1807) は,かつて「ならず者」でした。奴隷船の船長だった彼は、航海中に何度も奇跡的に命が救われ、幼い頃、母から聞いたキリストを思い出し、悔い改めました。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書19章10節

 イエス様は救い主として、この世に来られました。そして、いつでも罪の中で苦しんでいる人を捜し出そうとされています。たとえ、私たちが最悪の者であろうとも、救いの手を差し伸べてくださるのです。

 太平洋戦争に突入した頃、一人の母親が毎日、病気の男の子を背負って、豪雪の中を病院に通っていました。食料事情の悪いときに生まれ、栄養失調になり、母乳も飲むことが出来きませんでした。唯一、医者にブドウ糖を注射してもらうことが、生き延びる方法でした。医者も、父親も、親戚、周囲の人たちも、この子供は助からないとあきらめ、「戦争中なんだから、かわいそうだけどしかたがない」と口々に母親を説得したそうです。しかし、彼女は反対を押し切り、一日でもいいから生きてほしいと、毎日、半分雪に埋もれながら病院通いを続けました。橋を渡ると遠回りになり、子供を長時間冷気にさらさないように、氷の様な川を子供を肩に乗せて歩いて渡りました。母親のおかげで命を取り留めた、その男の子は、クリスチャンの弁護士佐々木満男先生です。現在も、弁護士として働きながら、福音の伝道を続けていらっしゃいます。「もしもあのとき母があきらめてしまったら、私はこの世には存在していないのです。この体験から、私は困っている親子を見ると黙って見過ごすことができず、いつの間にか助けているのです」と、証していました。

 神様は、決して私たちをお見捨てにはならず、救いの御手を差し伸べてくださっています。自らの罪を認め、悔い改め、その差し出された御手を取りましょう。いつでも、神様は「失われたもの」を捜しくださっています。

2009年9月20日日曜日

「わたしは、世にいる間、世の光である。」ヨハネによる福音書9章5節



 三重苦のヘレン・ケラーを導き、生涯を共にしたサリヴァン先生は有名ですが、聖書を良く理解したいと願っていた彼女に、聖書を点字に訳し信仰に導いたヒッツ氏のことは彼女ほど知られてはいません。「ヒッツ氏の訳した本を読んで、キリストこそ神を表し、新しい命を人に送り込むものであることを知った」と、ヘレンはその著書のなかで言っています。

「わたしは、世にいる間、世の光である。」ヨハネによる福音書9章5節

 イエス様の活動の時間に限りがあるという意味ではありません。私たち自身がキリストの命、働きを自分のものとする機会は限られているということです。魂が救われるために、キリストを受け入れるのに遅過ぎることはありません。しかし、世の光となるために信仰を持つ時は早い程よいのです。

 真珠湾攻撃の総指揮官であった淵田美津雄氏は、戦後伝道者になりました。ビリー・グラハムの伝道テレビ番組に出演したとき「キリストを知る以前から(神による導きを感じる様な)変化が起こった」と語りました。戦中、彼は信念を持って戦いましたが、戦後になると日本を戦争に追いやり、敗戦させた張本人として日本人からも白い目で見られるようになりました。田舎に引きこもり、土を耕す毎日の中で、彼は創造主を深く思うようになりました。「世俗を捨てた生活態度の中に、神への思慕を知り始めたことは、光明でありました」日本軍に宣教師であった両親を殺されながらも、捕虜収容所で日本人に親切にしてくれたアメリカ人のお嬢さんの話や、東京を憎しみを込めて空襲し、捕虜となり、キリストに変えられ、日本伝道に来た軍人の話を聞き、彼ら変えた聖書を読み始めます、赦しの意味を知り彼は48 際で生まれ変わりました。戦後8 年目に聖書を携え渡米、伝道者となった真珠湾攻撃隊長として、10 年間で4 万キロを巡り、神の愛を語りました。

 私たちは、誰もが救われるようにキリストによって選ばれています。神の愛に触れてたなら、神に選ばれた者として、愛の業を行えるものに変えられるのです。

2009年9月13日日曜日

「それゆえ、主は恵みを与えようとして あなたたちを待ちそれゆえ、主は憐れみを与えようとして 立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。」イザヤ書30 章18 節



 19 世紀末、酒や女、堕落した生活からぬけ出したいと、キリストを受け入れ、罪を告白したジョージ・ウィリアムスは荒廃して行く若者たちに心を痛め、都市勤労青年の生活改善のため、職場の仲間12 人と祈り、学び合う集会を始めました。これがYMCA(Young Men's Christian Association) の始まりでした。

「それゆえ、主は恵みを与えようとして あなたたちを待ちそれゆえ、主は憐れみを与えようとして 立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。」イザヤ書30 章18 節

 外敵の脅威に、エジプトを頼ろうとしたイスラエルに預言者イザヤが警告した中で語られた一節です。真の救いは神様、ご自身です。神に信頼すれば、救われ、また力を得ます。祝福、恵は、一方的に神から与えられたものですが、その神の恵みにより頼む者になりましょう。

 明治時代の兇悪犯、好地由太郎は子供時代奴隷の様な生活を強いられ、荒んでいきます。18 歳でお店の女主人を強姦し、抵抗されたため殺してしまいます。投獄され、キリスト教の路傍伝道禁止で勾留されていた青年と獄中で知り合い、その態度に感心し、「どうようにすれば君の心のようになれるのか」と聞きました。すると彼は「耶蘇教の聖書をお読みなされ」と応えたそうです。由太郎は聖書を読み始め、罪を知り、キリストの救いを知り、祈るようになると、親切で優しい人間に変えられました。また人のいやがる仕事を進んでやるようになりました。また、自分が殺してしまった女性の遺族にもお詫びの手紙を書き、僅かな賃金で貯めていたお金を送りました。彼は最良の模範囚となり、1904 年仮出獄し23 年間の刑務所暮らしを終え、出獄後は刑務所を巡る巡回伝道者になりました。自らの救いの体験を証し、多くの囚人を福音に導きました。彼はどんなことをしても償えない程の罪をおかした重罪人でしたが、キリストにより神の子とされ、人々
に信仰と希望と愛を与える者になったのです。

 自分の努力ではなく、キリストにより、私たちは神の子とされます。そのことを受け入れる者は救いを得るのです。

2009年9月6日日曜日

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネによる福音書4章14節



 東京、根津教会の主任牧師をしておられる鍋谷憲一さんは、三井物産に29年間勤め、社会的にはエリートと呼ばれる人でした。彼がキリストをの言葉を受け入れるきっかけは、海外赴任中に教会へ通い始めた奥さんに誘われて参加した教会の修養会でした。「だましだまされの商社マンですから、信仰なんて持てません」と言うと、「つらいでしょうね。そういう生き方は」と、ぽつりと漏らした参加者の一言が強く胸に残ったそうです。いくら地位や名誉があっても癒しきれない渇きがあると、実感させられた瞬間だったのでしょう。

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネによる福音書4章14節

 好きなこといくらを続けても、欲望が治まる事はありません。人は神の性質、永遠に価値のあるものでしか満たされる事がないのです。それを与えてくださるのがイエスさまの言葉です。主の言葉はそれを受け入れた者の中で、聖霊により、命の泉となるのです。

 親しみやすいメロディと、メッセージ性の強い歌詞で、1970 年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発したミュージシャン、ビリー・ジョエルは、全世界で1 億5000 万枚以上のアルバムの販売を記録しました。しかし、彼には二度の離婚歴があります。「最も幸せだった時は、伴侶とうまくいっていた時だ。そんな良い関係を続けられる相手と巡り会えずにいる自分が腹立たしい」と嘆いていたそうです。「ロックの殿堂は自分をハグしてくれない。子供を産んでくれない。哀史、愛されるという家庭を僕も欲しい」とどれだけ有名になり、多くのお金と、この世の栄誉を得ようと、人は満足を得ることはできないのです。魂の渇きを癒すことが出来るのは、キリストの生きた言葉だけなのです。

 キリストの生きた言葉は、聖霊によりキリスト者の中で絶えず湧き出る永遠の命の泉となるのです。

2009年8月30日日曜日

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネによる福音書3章3節



 落語家の「露の五郎兵衛」何度も死にそうな目に遭い、誰かに生かされていると考えるようになりました。牧師と結婚した娘夫婦から、「わたしがあなたを選び、あなたを任命したのです」ヨハネ15:16 の御言葉を教えられ、キリストに従う落語家になりました。「イエス師匠に『お前は罪人や』と言われたら、その通りですと、『おまえを愛してる』と言わはったら、ありがとうございますと感謝する」と言いました。知識としてではなく、生きる力として確信を持って神を信じているのです。

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネによる福音書3章3節

 「新たに」は、新約聖書が書かれたギリシア語ではアノウセン、「上から、天から、新たに」の意味になり、「見る」はホラオウの訳で、「経験する、味わう、分かる」などの意味が強くなります。神の御心を行うためには、へりくだって聖霊により魂が新たにされる意外に道はないのです。

 キリスト教を背景としたファンタジー「ナルニア国物語」の作者C.S ルイスはオックスフォード在学中、第一次世界大戦など様々な体験から無神論者なり、神を憎み、否定する詩を書くほどでした。しかし、彼が大学で得た友人は皆クリスチャンだったのです。理性的で論理的なルイスは、彼らの生き方惹かれていることに気が付き、このような魅力的な生き方をするのがクリスチャンならば、キリスト教は本物だと思い始めたのです。神話の様な話が好きでしたが、キリスト教が作り話と思える間は信じる訳には行きませんでした。ある日、「指輪物語」の作者であるクリスチャンのトールキンが、「キリストの話は世界で唯一の『本当の神話』なんだよ」と説明を受け、数日後イエスさまが真実であると悟りました。ルイスはキリストは神であり、人であるという真実を「神話が歴史になった」と表現しました。

 落語家の「霧の五郎兵衛」を、「ナルニア国物語」のC.S ルイスをキリストに導いたのは、聖霊により新しいいのちを与えられ、神と人を愛する喜びを知ったクリスチャンたちだったのです。聖霊により新しい命を得た者たちは、神を愛する喜びを知り、神に従い、人々を愛する者になるのです。

2009年8月23日日曜日

「忠実な人は多くの祝福を受ける。」箴言28章20節



 女優のように美しかった韓国の女子大生、イ・チソンさんは交通事故により全身が黒焦げになる大火傷を負いました。「お兄ちゃん、私を殺して。こんなになっていきていけないわ!」と絶望の叫びをあげるほどでした。しかし、キリストにより救われ、それから5 年後にはチソンさんはアメリカに留学し、2008 年ボストン大学リハビリ相談学修士- 2009 年現在米国, ニューヨークにあるコロンビア大学Social Work 専攻で修士学位過程中です。彼女は「私を『弱ったり、苦しんでいる人への器』として召されたイエス様の力です」と、語りました。

「忠実な人は多くの祝福を受ける。」箴言28章20節

 どんな苦難にあっても決してあきらめてはいけません。たとえ、もう終わりだと思っても、神を信じる者には、神様が新たな道を示してくださると、言うことだからです。どんな困難にあっても神の前に忠実に生きること。最善を尽くし、忠実に歩む時、わたしたちは祝福を得るのです。

 牧師の娘である大藪ノブ順子さんは1999 年アメリカ留学中にレイプ事件に遭いました。男は逮捕され禁固20 年になりましたが、彼女はうつ症状と男性恐怖症、パニック障害の発作で苦しむようになりました。自分の無力さを思い知り、全てを神にゆだねるしかないと、聖書を真剣に読み進めたそうです。犯人に手紙を書いてはどうかという、牧師の勧めに、「そんなバカな話があるだろうか」と思った
そうですが、祈りのなかで「いま、それをしなさい」という御言葉を聞き、彼女は手紙を書きました。「犯人を赦せる時がきたらいい」と書いて投函すると、大きな喜びがあふれ、それまで笑うことができなかった彼女に笑顔が戻って来たそうです。その後、彼女は新聞社専属のカメラマンとなり、「性犯罪サバイバー達の素顔」というプロジェクトを行いました。「レイプにあってよかったと言っているのではない。つらい経験がつらい経験がるからこそ、神の計画のなかで用いられている自分を知ることができた。そして憂いが幸せに変わった」と彼女は語りました。

 困難の中にあっても、神様の前に忠実に生きること。最善を尽くし、忠実に歩む時、神様が新たな道を示してくださり、わたしたちは祝福を得るのです。

2009年8月16日日曜日

「 あなたのたみは、わたしのたみ。あなたの神は、わたしの神。」 ルツ記1 章16 節



 飛行機を発明したライト兄弟の父親は、牧師でした。優しい父親でしたが、日曜日の礼拝は徹底させました。そのため、ライト兄弟は日曜日には飛行機を飛ばさないと決めていたほどでした。

「 あなたのたみは、わたしのたみ。あなたの神は、わたしの神。」 ルツ記1 章16 節

 人にキリスト教を伝えることは、ただ教義や思想を語り、賛成してもらうことではありません。生きる神にひとりづつ、引き合わせ紹介する様なものです。本当の神様を認めて、「神様に従います」と信仰へと導くことなのです。

 「神様に近づきたければ、子供をぎゅっと抱きしめて、その魂の救いのために何かをしなさい」と、アメリカ、インディアナポリスのトム・ベンジャミン主教は言います。神様を知るために、様々な本を読んだり、神学的なディスカッションをする人も多いでしょうが、ベンジャミン主教は「とにかく、子供を抱きしめ、聖なることを教えなさい。誘惑からどのように身を守るか、どう祈るべきか教えなさい。子供たちの人生を正しく導くように行動すれば、神に近づくことが出来る」と言います。彼が5 歳の時、彼の両親は離婚しました。父も母も仕事でのキャリアを求め、子育てを放棄し、息子を駅に連れて行き、一人で夜行列車にのせました。寝台車のなかで、5 歳のベンジャミン少年は一晩中眠ることができませんでした。翌朝、電車を下りると、そこには祖母が迎えてくれました。「祖母は、私を祝福し、抱きかかえ、育ててくれた。祖母のおかげで麻薬にも手を出さず、刑務所に入ることもなく、いま、わたしは牧師としてここに立っている」と主教は言いました。多くの子供たちは傷ついています。純真な魂を迷わせることなく、神の子として正しく育てるために、イエスさまの様な愛をもって、愛しましょう。イエスさまの愛以外に、人が救われる道はないのです。

 人を、子供を励まし、聖書の真理を教え、祈る人になりましょう。それこそが、キリスト教を伝えることであり、ひとりひとりを、神様への信仰へ導くのです。

2009年8月9日日曜日

「 わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16 章28 節



 レオナルド・ダ・ヴィンチがイエスさまの姿を描こうとした時、少年が大きな音をたててしまいました。彼はその少年を叱りつけ追い出し、絵筆をとろうとするとイエスさまの絵が描けなくなっていました。彼は少年を捜し出し、謝罪をすると、再びイエスさまの顔が描けるようになったそうです。

「 わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16 章28 節

 神様に背き、力を失った怪力の士師サムソンの悔い改めの祈りの一節です。彼の怪力は神様の力によるものであり、サムソン自身の力ではありませんでした。神様に見捨てられ、敵の捕虜となり絶望のなかで、サムソンは神様に悔い改め、祈りました。そして、彼はもう一度神様の力を取り戻したのです。過ちを認め悔い改めるとき、神様は赦してくださいます。そして力を与えてくださるのです。

 ヴァイオリニストの蜷川いずみさんは、フランス留学時、思う様な演奏ができずに悩んでいました。彼女の住んでいた女子寮で働いていたフランス人女性から、日本語で書かれたキリスト教のパンフレットもらいました。そこには「虚しさを感じていませんか。本来あるべきところで、もう一度生きられるようにしてくださる方がイエスさまですよ」というメッセージがありました。彼女は「わたしの音楽に喜びがないのはイエスさまを知らないからではないか」と思ったそうです。神様を受け入れ、自己中心的な思い、神様に心を向けずにいたことに気が付き、音楽をやる目的も、神様からのプレゼントである音楽を通してイエスさまを誉め讃える、そのためにヴァイオリンを弾くようになりました。サラサーテのツィゴイネルワイゼンの出だしは、「自分は罪人です」と告白するように、そして地の底から上に向かい神に祈る気持ちで、独自の解釈で演奏するそうです。帰国後はオーケストラのコンサートミストレスをつとめ、またクリスチャン音楽家として各地の教会で演奏をしています。

 悔い改めは、人生の成功の秘訣です。自己中心的な思いを捨て、心を神様に向けましょう。心が神様に向いていない的外れ(ヘブル語での罪の意)なわたしたちも、悔い改め神様の霊が注がれるとき、神と人々を愛せる存在となれるのです。

2009年8月2日日曜日

『 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。』箴言3 章5・6 節



 デイビッド ブレイナードはネイティブアメリカンへの伝道に、短い生涯を捧げた人です。西洋人の住まない密林を何ヶ月も旅をし、ネイティブアメリカンを主へ導きました。こころから主を信頼したからこそできた旅でした。

『 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。』箴言3 章5・6 節

 神様を信頼するのに、ここまでは信頼するけれど、ここは信頼できないということはありません。人はどんなに知恵や力があっても神様に勝ることはないのです。まず、全身全霊をもって神に信頼して行くことが大切なのです。

 トム ハンクス主演で映画にもなった宇宙船アポロ13 号は1970 年4 月に打ち上げられました。宇宙空間で大事故に会い、宇宙船の空気がほとんど失われる危機に、クリスチャンであった三人の宇宙飛行士たちは、神に祈りました。そんな彼らに、神様は勇気とアイデアを与えてくださいました。まず、月着陸船に移り、そこの酸素を使って、生き延び、大気圏に再突入するまでの時間を稼ぎ、無事に地球へ戻って来たのです。最年少の乗組員フレッド ヘイズは「わたしはこの事故に遭遇したとき、コリント信徒への手紙一 10 章13 節の御言葉を思い出しました。『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』

 最もすばらしい助言、アイデアは神様から来ます。わたしたちが失敗や、苦しみから助言が必要なときは、心から信頼し神様にお祈りしましょう。神様はわたしたちに最前のものを与えてくださいます。

2009年7月26日日曜日

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。 フィリピの信徒への手紙4 章13 節



 小林富治郎氏は自分の出世のため事業を興しましたが失敗し、自殺しようとしました。しかし、聖書の御言葉(ヘブライ12.6)を思い出し、今度は神と人のために事業を興し、神に祝されました。こうしてできたのがライオン㈱なのです。

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。 フィリピの信徒への手紙4 章13 節

 神様はわたしたちに、困難と思える様な道を示され、挑戦することを命じられます。この世的なものに逆らい、神に従おうとするとき、様々なものが私たちの心を砕こうとします。しかし、神はわたしたちと共におり、強めてくださり、わたしたちを打ち負かそうとするものを追い散らしてくださいます。

 ハリウッド・スター、アーノルド シュワルツネッガーはアクション映画やバイオレンス映画でスターになりました。しかし、彼は20 年以上、テレビ番組で礼拝を守って来たクリスチャンです。その番組の牧師からの、暴力的な映画への批判ではなく、「子供たちへの影響力を良いことのために用いることができるでしょう」という手紙がきっかけとなり、彼は新たな挑戦をはじめます。家族愛をテーマとした映画に出演するようになったのです。子供たちに人生で勝利する大切さを教えることが出来るようになり、学校での講演会で「薬物にたより、暴力で人生に成功した人はいない」と教えています。いま彼は、カリフォルニア州知事として、神と人に仕えています。「神とわたちたちの主の偉大な御導きなしには、今日の自分はいません」と証しています。

 神の側に立ち、この世を生きることは、ときに厳しい試練にさらされることになります。しかし、神はわたしたちと共にあり、弱いわたちたちを強め、力づけ、立ち向かう勇気をくださいます。そして、神とともに歩むとき、神は、敵を追い散らしてくださるのです。

2009年7月19日日曜日

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 ヨハネの手紙一 1 章9 節



 「のらくろ」の作者、田河水泡さんは戦後クリスチャンになりました。彼は晩年、「神様を信じられない人でも悪魔は信じている人が多い。家相が悪いと言われて引っ越す人がいる。根拠のない悪霊が信じられるのに、なぜ神の愛が信じられないのだろう」と語っています。神の愛は私たちを正しい道に導いてくださいます。

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 ヨハネの手紙一 1 章9 節

 クリスチャンの人生は順調に進むとは限りません。誘惑され、罪をおかすことも多々あります。しかし、そのとき主を呼び求め神の前にへりくだり、悔い改めるとき、神様はまた新しいチャンスをくださいます。神様の愛に支えられて新しい一歩を踏み出して行くことが大切です。

 レーガン大統領の葬儀でアメイジング グレイスを歌ったテノール歌手のローナン タイナンさんは、生まれたときから片足が短く、子供時代はそれが原因でいじめにもあいました。20歳のときに事故で膝から下を失いました。しかし彼は信仰によって強められた両親の愛のもとに育ち、神を信じ、神に導かれて自分の可能性を追ったのです。彼は歌手だけでなく、パラリンピックで18 個の金メダルを獲得し、医科大に通い内科医の資格も取りました。「壁に直面したときが、真の始まりなのです。決して信仰を失ってはなりません」と彼は語りました。

 私たちが失敗し神の前に罪をおかしたときでも、それで終わりではありません。主の前にへりくだり、悔い改め、主を呼び求めることが大切です。私たちはキリストの愛に支えられ、新しい一歩を踏み出すことが出来るのです。

2009年7月12日日曜日

あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。 申命記20 章4 節



 「みんながクリスチャンになりますように」「みんなが毎週教会学校に来れますように」ある小学生が祈りのカードに書きました。人間には不可能と思われることも、神様が共にいてくだされば、実現する方法を示してくださいます。

あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。 申命記20 章4 節

 主の作戦に従ったヨシュアとイスラエルは勝利を収めました。私たちの力では崩すことが出来ない壁があります。しかし主が共にいてくだされば、主が戦ってくださり勝利を収めることが出来るのです。

 横浜駅西口を60 ~ 70 年代に再開発した相模鉄道の元副社長、岡 幸男さんはクリスチャンです。多くの賄賂や、会社内からの圧力に屈せず、祈りをもって、誠実に尽くした結果、プロジェクトは成功しました。時に左遷や首も覚悟しましたが、彼の誠実さが、多くの銀行の信用につながったためでした。

 クリスチャンには、勝利を与えてくださる主の力を知っているという特権があります。現実不可能と思えることも、主を信頼し、祈り、神様に忠実に従うことで、勝利を得ることが出来ます。主の力なくしては、崩すことのできない壁があるのです。

2009年7月5日日曜日

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」ヨシュア記1 章9 節



 ジョージ・ミュラー牧師はは資金の準備もほとんどないままでスラムの子供たちの世話をはじめ、孤児院を設立し何千人孤児を救い、キリストに導きました。

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」ヨシュア記1 章9 節

 自分の力不足に不安を覚えることは多々あることです。誰にも助けを求めることもできない。しかし神様は私たちとともにいてくださいます。神様はそう私たちに約束してくださっています。

 ジョージ・ミュラーは12 万にの人にキリスト教教育を授け、200 万冊近い聖書を配布し、宣教師のために何万ポンドも寄付をしました。彼の活動には多くの資金が必要でした。何度も財政難に陥りましたが、彼は決して人間に助けを求めようとはしませんでした。主にのみより頼み、生涯で142 万ポンドものお金が与えられたのです。

 「主は決して私たちをお見捨てにならないと確信する。」と彼は、日記に記しています。苦しいとき、大変なとき、誰からも助けが得られないときも主は私たちと、共にいてくださいます。私たちの希望は神にあるからです。

2009年6月28日日曜日

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。ヘブライ人への手紙11 章6 節



 禁酒団体、矯風会を発足させた矢島楫子は、酒乱であった夫に苦しめられました。その経験が、女性の弱い立場を痛感させ、キリストへの信仰によって立ち上がりました。 

 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。ヘブライ人への手紙11 章6 節

 神様を信じるということは、ただ神の存在を信じるということではありません。神様が正しいこと、愛であることを信じることです。祈りに答えてくださることです。

 「なぜこんなことが私に起こるのか」ではなく、「いま、自分は何をするべきか考えましょう」。奇跡的に癌が癒されたクリスチャンのグレッグ・アンダーソンさんは「癌は『変わりなさ』というサインです」と言います。人間にできるほとんどの癌は、その初期のうちに免疫力により撲滅されます。しかし恐れ、怒り、憎しみ、罪悪感などの感情は、免疫力を低下させるそうです。この否定的な感情を「愛、平安、希望、喜び」に変えるとき、再び免疫力は高まります。まず、自分を変えること、癌が癒されるかどうかは神様におゆだねしましょう。だれでもいつ、天に召されるかは分かりません。そう信じ、アンダーソンさんは治療を積極的にうけ、余命三週間と診断されてたにもかかわらず、肺癌が完治したのです。

 神様を信じ、何もないところから貧しい人を救い続けたマザーテレサは「愛の業を行うのに、唯一必要なのは傷ついた心です」と言いました。信じることで、神様は答えてくださいます。

2009年6月21日日曜日

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 出エジプト記20 章3 節



 「楽しければいいじゃん。」と言っていた友人がいました。しかし、自分がやりたいように生きて来たとき、多くの間違いをしました。自分がやりたいことだけやっているのでは、幸せになれないのだと、気が付きました。本当の幸せ、楽しさは神様を知っ
たときからはじまります。

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 出エジプト記20 章3 節

 十戒の第一戒です。天地万物を創られた神様はただお一人です。真に生きておられる神様は神様だけに礼拝しましょう。聖書の神、主は目に見えません。ですから、神の像を造ってそれに礼拝することも赦されません。神様を正しく理解し、真心か礼拝しましょう。

 大韓航空機爆破事件の金賢姫は子供の頃、重い病から回復したときに母が「神様が助けてくださった」と叫んだのを聞きました。母は日帝時代ミッションスクールに通い、信仰を持っていました。洗脳された育った金賢姫は事件後、クリスチャンの捜査員たちから聖書を渡され初めてその教えに触れ、学ぶうちに、自分の様な罪人のためにイエスさまが十字架にかかってくださったことを知り、信仰をもちました。キリストに赦され、生きる希望を与えられたのです。

 真の神様だけが、私たちを赦し、救い、生きる希望、喜びを与えてくれるのです。
  

2009年6月14日日曜日

「 わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」ヨハネの手紙一 1章7節




 友人で、牧師である母の説教を聞いて、導かれ、教会に通うようになった人がいます。その人は、また自分の友人を教会に導くようになりました。

 「 わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」ヨハネの手紙一 1章7節

 イスラエルの民は「葦の海」の一件によって神の力を知りました。しかし、本当には何も理解していませんでした。あらゆることに不平をいい、不信仰を表し続けました。神のわざに触れていながら、神を知ることが出来ない人間ではなく、神を知り、感謝をささげる人となりましょう。

 中国のクリスチャンは約一億人だと言われていますが、共産党政権により、聖書の発行部数は年間300 万冊以下抑えられています。そこで、足りない聖書を政府に見つからないように海外の宣教団がおくっているのです。今まで中国に送られた3000 万の聖書のうち2000 万冊が新生宣教団によって印刷し、届けられました。技術、資金など様々な点で恵まれている日本から、世界へ向けて福音が発信されています。

 日本人は世界的に見れば非常に恵まれています。技術も世界最高のものを持っています。神の恵みを知り、それを感謝し、多くの人に神の愛を伝えることができる人になりましょう。