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2010年10月31日日曜日

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えていてくださいます。」コリントの信徒への手紙一 10章13節



 小林富治郎さんは、事業に失敗し自殺しようとした時、聖書の言葉、「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」( ヘブライ12:11) を思い出しました。そして、現在のライオングループを創設したのです。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えていてくださいます。」コリントの信徒への手紙一 10章13節

 ダビデは英雄となったのもつかの間、ソウル王に妬まれ命を狙われる状況に追い込まれます。人生には絶望的な時があります。不幸の中にあっても、この先に絶望的なことも祝福に変えてくださる神のご計画があると知りましょう。

 「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三さんは、9 才のとき病気で、首から下は麻痺し、ロもきけない、ただ見える、聞こえるだけとなりました。12 才の時、町の教会の宮尾牧師が訪れ聖書を贈りました。信仰が育てられ、13 才で洗礼を受け、両親もクリスチャンになりました。詩を書き始めたのは、18 才の頃。五十音を書いてもらい、自分の望む字を指さすと目で瞬きをして合図を送る方法です。その後、読売新聞に投稿した句が入選し、四冊もの詩集を出しました。
「悲しみよ」 悲しみよ、悲しみよ  お前が来なかったら、つよくなかったら
私は今どうなったか  悲しみよ悲しみよ、お前が私を
この世にはない大きな喜びが  かわらない平安がある
主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ

源三さんは、人々に希望を与え、イエス様へと導きました。

 絶望の時も神を信じましょう。全てに神の支配と祝福のご計画があるのです。

2010年10月24日日曜日

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピの信徒への手紙 4章13節


 ドイツ人のジョージ・ミュラーは、ロンドンで牧師となりました。ミュラーは、浮浪児を助け、寄付を募らず、信仰と祈りだけに頼ることで、神さまが生きて働いておられることを、人々に証ししたいと願いました。神さまはいつも必要な食物を備えてくださり、借家で30 人の孤児を収容して始まった救済事業は、25 年後には、2000 人以上の孤児が収容できる施設へと発展しました。

「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピの信徒への手紙 4章13節

 大男で歴戦の勇士であるゴリアトに、まだ少年で武器も身につけていないダビデは、「わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。」( サム上17:45)と言いました。神様が勝利に導いてくださることを信じるとき、不可能と思えるような困難に立ち向かえるのです。

 「主よ あなたの平和をもたらす道具として私をお使いください。憎しみのあるところには愛を 不当な扱いのあるところにはゆるしを分裂のあるところには一致を…」
 戦乱の中、父親も毒殺されたマザー テレサが9 歳の頃、祈りました。やがて、彼女はインドのスラム街で人々の救済活動を行います。しかし、世間は彼女のやり方を批判しました。自己満足ではないのか、と言うのです。彼女は、批判を意に介さない態度を取りますが、内面では悩んでいました。友人の手紙に「神の偉大さに比べて、私はなんてちっぽけなのか。殆ど、無に等しいかもしれない。」と。自問を繰り返すマザー テレサに1979 年、ノーベル平和賞の受賞の知らせが届きました。受賞式で彼女は、共に祈りましょうと呼びかけまた。それは、「聖フランシスコの平和の祈り」でした。絶望の中、彼女に希望を与えた祈りです。

 私たちは、自分の力では勝てない戦いに直面することがあります。私たちは無力でも、神様が勝利に導いてくださる信仰を持って、困難に立ち向かいましょう。

< 平和の祈り> アッシジの聖フランチェスコ
ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。
                     アーメン

2010年10月17日日曜日

「主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見えない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』サムエル記上16章7節



 エルヴィス・プレスリーは不良のイメージが強いのですが、実は敬虔なクリスチャンでした。「エルヴィスは聖句を暗記していました。そしてキリストによる生まれ変わり( 回心)、信仰によって新しい人生経験をすることの必要性を信じていました。さらに彼は聖書の言葉を実生活に当てはめ、実行しなければならないと言っていました。彼は本当に強い信仰を持っていたました」と、叔母( 父の妹ナッシュ・プレスリー、女性牧師) は証言しています。

「主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見えない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』サムエル記上16章7節

 背も高く、容姿も美しかったサウル王が、主に従わず退けられ、まだ少年であったダビデが神に選ばれました。神様は見た目ではなく、その人の心、魂の姿を見ておられます。

 アメリカのルネー・ボンディさんは、夜中にべッドから落ちて首の骨を折り、その日から歩く事も、腕や指を使うことも出来なくなってしまいました。婚約したばかりで、歌手としての道も歩き始めた時でした。それが突然一晩で、彼女の人生は大きく変わってしまったのです。しかし、体が不自由になったショックは大きかったのですが、神さまが自分のことを愛し、配慮してくださる方だと知っていたので、前向きな態度で、まっすぐに問題と向き合うことが出来ました。彼女の両親や兄弟は、愛を持って彼女の生活を支え、婚約者もいつも彼女が笑顔でいられるようにそばにいてくれました。リハビリを続けて、数年後には美しい歌声も戻りました。今では、結婚して子どもを無事出産して幸せに暮らし、神さまの愛に満ちたCD を何枚も出してい ます。

 私たちは自分の心の状態に無頓着です。自分の力では、神の前に正しい心を保つことが出来ません。心を見ておられる神の前に、傷のない心をを持つことが出来るように、主により頼み、助けていただきましょう。

2010年10月10日日曜日

「見よ、主は御目を注がれる主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」 詩篇33篇18節



 アメリカの大きな教会の牧師が、朝食のとき高校生の娘を、きつくしかりつけてしまいました。娘は、そのままさびしく学校へ出かけていきました。自分にも間違いがあると気がついた、その牧師は、昼の仕事を全部断り、学校で校長にお願いして、昼食の時間に娘をレストランに連れて行きました。そして娘に朝のことを謝り、楽しく一緒に食事をしました。この牧師は、いつもイエス様の愛を忘れずに、間違ったことをしたら子ども達にも正直に謝り、真理から離れないように子育てをしました。今では5 人の子供は全員神さまを信じて、教会の仕事を手伝っています。

「見よ、主は御目を注がれる主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」 詩篇33篇18節

 「御目を注がれる」とは、神様の祝福があると言うことです。目に見えない神様の存在を意識し、どんなときでも従いうべきであります。

 ヘレン・ケラー(1880 ~ 1968 米国人) は、1 歳7 ヶ月で熱病にかかり視力と聴覚を失いました。そのため話すこともできなくなり、気性は激しくなります。そんなヘレンをサリヴァン先生は優しく愛し、握った手を使ったコミュニケーションと点字を教え、ラドクリフ大学( 現ハーバード大学) にまで通わせました。ヘレンは著書、『私の宗教』の中で、以下のように信仰告白をしています。「以前狭苦しい考えを持った人々から、キリスト教徒でない者は皆神の罰を受けると聞かされて、自然反抗心を起こしていました。それは、異教徒の中にも真理のために生き、真理のために死んだ人々がいることを知っていたからです。しかし、ヒッツ氏の訳した本を読んで、キリストこそ神を表し、新しい命を人に送り込むものであることを知りました。私が最も愛読しているものは聖書です。私の辞書には悲惨という文字はありません」と。宗教の枠を超え、イエス様に従う人は救われ、神さまに祝されることを知って、彼女は安心したのです。ヘレンは、「神様から愛を頂いて、他人への愛を成長させて頂くこと、これが人生の大切な目的であって、そのために目が見えていようと、見えまいと、関係な
いのだ」と言って、どの人も分け隔てなく愛しました。

 神さまの恵みを覚え、感謝することで神さまの愛を体験し、それぞれの立場でその愛を人々に分け与える人となりましょう。

2010年10月3日日曜日

「あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。」申命記8章6節



 救世軍の創始者ウィリアム・ブース(1829-1912) は言いました。「女性が泣いている限り、わたしは戦う。幼い子供が飢えている限り、わたしは戦う。男たちが刑務所に出入りする限り、わたしは戦う。酔っぱらいが残っている限り、街頭に哀れな女性がいる限り、神の光を受けていない一人の魂でもある限り、わたしは戦う。終わりまで戦う」と。この言葉は現在も略称“WWW”(WhileWomen Weep- 女性が泣いている限り) として語り継がれています。

「あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。」申命記8章6節

 神様を信じ、神様の戒めを守りなさい、と言っています。戒めとは何でしょう。マタイ22 章で、イエス様は、最も大切なことは、神と人とを愛することだと言われました。

 18 才のフィリピン人歌手シャリース・ペンペンコは、アジア人として初めて、全米ヒットチャート・トップ10 入り(8 位) を果たしました。子供の頃、父は、母に暴力をふるうようになり、二人は離婚しました。母は、歌手を目指していましたが、夢をあきらめました。シャリースの希望も、歌手になることでした。母は、シャリースの歌声に慰めを得ていたと言います。12 才になったシャリースは、フィリピンのオーディション番組「リトル・ビッグ・スター」に出場します。審査員から「視聴者が求めるのは、スタイルが良くて美しい歌手なんだ。プロになるのは、あきらめた方がいい」と言われました。母は「私は歌っているあなたを見ているだけで幸せよ」と娘を慰め、シャリースは看護師になって母を助けようと決意します。夢をあきらめたシャリースのところに、米国のオーディション番組から、出演依頼がありました。彼女は、母を米国に連れて行ける、という思いだけで、番組に出演します。すると、歌唱力が絶賛され、これがきっかけで米国の一流プロデューサーに認められ、シャリースはメジャーデビューをしたのです。「 辛い時も、絶対に落ち込まないようにしてくれたし、何よりも愛情を注いで支えてくれました。お母さんが愛してくれたから、私は歌い続けるのよ」とシャリースは母に手紙を書きました。カトリックの信者である彼女たちは、イエス様への信仰ゆえに、母子が互いに神の戒め「愛」を実践してきたのです。

 神様は 私たちの弱さを理解し、真理を教え、罪を赦し、私たちの価値を認めてくださいます。他の人に対し、神様がしてくださったように接しましょう