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2010年5月30日日曜日

『ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ちがり、歩きなさい。」』使徒言行録3章6節



 DV( ドメスティク バイオレンス=家庭内暴力) の被害に遭っている女性たちの支援活動を行っている栗原加代美さんは、、スタッフとともに、被害者らに神さまが人に接するような、愛をもって接し、彼女ら支え、励まし、社会復帰させています。DV の被害者を立ち上がらせるのは、金銭ではなく、神の愛なのです。

『ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ちがり、歩きなさい。」』使徒言行録3章6節

 人を本当の意味で救うのは、金銭ではありません。神の愛です。キリストの名によって立ち上がるとは、キリストを信頼し、神のために生きることです。

 米国で3 番目の規模を持つハンバーガー・チェーン「ウェンディーズ」の創設者デーブ・トーマスは生後6 週間で養子に出され、両親を知らずに育ちました。また5 歳の時養母とは死別、養父とは良い関係を持つことが出来ませんでした。しかし、毎年夏休みを一緒に過ごした、養母の母である祖母から、勤労、信仰、祈りなど大切なことを教わり、11 歳の時、洗礼を受けました。「本当に、神様に受け入れられた思いがしました」と、言いました。事業が成功した後も、養子のための基金を設立し、里親、養子ともに、良い環境を作ることに尽力しました。この世的には、不幸であり、肉親に恵まれなくても、キリストにより救われ、神の愛を知れば、神の愛を信頼し、歩くことが出来るのです。

 神から受けた愛を、あらゆる人たちに、わけ与えましょう。それは金銭ではなく、神の愛です。人々に神の愛で接するとき、本当に彼ら
を立ち上がらせることが出来るのです。

2010年5月23日日曜日

「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来こないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」ヨハネによる福音書16章7-8節



 「神様は乗り越えられない試練は与えない( コリント一10:13)」牧師でもある小倉義明校長が、高校生ギタリスト村治佳織さんを励ましました。中3 でデビューし、学校とギターの両立の難しさを感じていましたが、その御言葉を聞いて以来、不安に支配されることはなかったそうです。( 日経新聞2009 年2 月19 日夕刊より)。彼女の演奏には、傲慢さなく、神にお委ねする謙遜さがあります。そして、謙遜な魂には聖霊が降(るのです。

「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来こないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」ヨハネによる福音書16章7-8節

 弁護者とは、聖霊のことです。イエス様は、ご自分は地上を去るが、それで聖霊が降るのだから、それはわたしたちにとって良いことなのだと言われました。

 「機関車トーマス」の原作を書いたのは、英国のウィルバート・オードリー牧師です。英国の聖職者には鉄道好きが多い理由として、
1. 狭いけれども真っ直ぐな線路を走ることが、「正しい道」を歩んでいることに似ている。
2. レールによって導かれ走る姿が、聖霊に導かれる人生と重なる。
3. 蒸気機関車の蒸気には、聖霊のイメージがある。
4. 19 世紀に発達した鉄道の駅舎は、教会と似ており、教会も駅も、人を正しい目的地へと連れて行くための場所である。
オードリー牧師について書かれた本の中に記されています。この本は今も多くの子供たちに愛され、楽しさの中で、正しい生き方を教えて
います。

 教会が謙遜な心で一つとなり祈るとき、聖霊が降り、祈りに応えられます。聖霊はわたしたちに御言葉を預け、夢や幻( ヴィジョン)を与え、このヴィジョンが人々の心を悔い改めさせ、救いへと導くのです

2010年5月16日日曜日

「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」使徒言行録1章21-22節


 日本ハムが優勝した年に、ヒルマン監督は祈りの中で、日本に残るよう促されていると思え、残留しました。そして「野球を通してあなたに仕え、あなたの忠実な兵士になり、信仰を公に表すことを恥とはしません」とお祈りした通りにイエス様のことを数多く証ししました。

「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」使徒言行録1章21-22節

 イスカリオテのユダに代わり、新しい使徒を補充するために、必要となったのは「イエスの復活の証人」となることでした。私たちも自分に現れてくださった復活のイエスを証ししなければなりません。

 第二次大戦中のポーランドでユダヤ人は、迫害されゲットーに隔離されました。そこから2500 名もユダヤ人の子どもを連れ出した20 代の若いポーランド女性、カトリック教徒のイレーナ・センドラーがいました。イレーナは困っている人を助けようと、ユダヤ人を支援す活動を戦前から行います。ユダヤ人たちがゲットーに入れられてしまうと、イレーナはゲットーに入る許可証を入手し、仲間と共に、子どもたちを救出しました。ユダヤ人を助ければ、家族も処刑されるという、命懸けの仕事でした。1943 年イレーナはゲシュタポに捕まり、子どもたちの居場所を言わせようと、拷問を受けます。手と足の骨が折れるまで殴られましたが、黙り通しました。その後、仲間がドイツ兵に賄賂を渡し、彼女は解放されました。生前、彼女は「大量殺戮兵器の開発は今も続いています。それでも私は愛が勝つことを信じています」と語りました。キリストの愛を貫き通したイレーナさんは、1999年、新聞に載り世界中に知られ、キリストの証人となったのです。

 イエス様の復活の証人となりましょう。どんな時も神様の愛と力、自分に現れた復活のイエス様を証ししなければなりません。

2010年5月9日日曜日

「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、私の証人となる。」使徒言行録1章8節



 母親の虐待の影響から28 歳で自殺を決意した歌手ストーミー・オマーティアンは、友人の助けによりキリストを受け入れ、苦しみに満ちた過去を、同じ苦しみを持つ人を救いに導くために用いられるようになりました。聖霊が、良い実を結ぶ素晴らしい人生を与えてくださったのです。

「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、私の証人となる。」使徒言行録1章8節

 証人とは証言に命をかけ、時に殉教をも厭わない者を意味します。勇気や知恵の乏しいわたしたちに、聖霊はキリストを証しする力を与えてくださるのです。

 「霊感による真の着想はすべて神から来る。モーツァルトやシューベルト、バッハ、ベートーヴェンのような真の大作曲家すべてが霊感を受けたあの力は、イエスに奇跡を行わせた、あの同じ力なのだ。」ピアニストで指揮者でもあったロマン派の作曲家、ヨハネス・ブラームスは語りました。また、「私は無神論者の若い作曲家を何人か知っている。...『ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができない』。無神論者がこれまで大作曲家になったためしはないし、これからもないだろう。...『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる』( マタイ7:7) こうした偉大な教えがもっと良く理解されていれば、実りない作曲の試みで、これほど多くの良質な五線紙が無駄になることもなかったろう」と言いました。ブラームスは生前から富と名声を得ていましたが、うぬぼれとは無縁で、謙虚で質素を好み、貧しい人々にお金を分け与え、多くの友人や支え「互いに相手を優れた者と思いなさい」( ローマ12 :10) を理解している人でした。ブラームスは聖霊に導かれ、力を与えられ、音楽を通して御言葉を語りました。この偉大な作曲家は、名曲は聖霊の力によるのだと言っているのです。

わたしたちは小さいものですが、聖霊からキリストを証しする力を頂き、主が再び来られる時まで、証人とならせて頂きましょう。

2010年5月2日日曜日

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マルコによる福音書28章19~20節



 ノースキャロライナ大学の社会学者ハリスは、子供と父親の関わりと学歴について調査をしました。父親と関わる時間が長い程、学歴が高く、感情的なつながりが強い程、非行に走る可能性が下がりました。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マルコによる福音書28章19~20節

 洗礼を受けることで、私たちはイエス キリストを信じる者であることを明確にします。その人に教え、育てて行く必要があります。イエス様が、私たちともにおられ、信仰を成長させてくださいます。

 人と言い争ったり意見を対立するのが苦手で、いつも迎合してしまう14 歳のジルは、歴史の先生がキリスト教を批判し、彼女が尊敬しているクリスチャンを馬鹿にすることに辟易し、混乱し、自分の信仰にも疑問を覚えるようになっていました。ある日、その先生が「牧師の子弟」について悪口を言い、彼女は激怒しました。クラスに牧師の娘がいたからです。ジルは同じクラスのクリスチャンの友人と、先生が、また他人を馬鹿にする様なことを言ったら、立ち上がって反論することを計画をしました。ただし、敬意をこめた形での反論です。ジルたちは先生の発言が不快であることを知らせました。初め先生は、生徒たちを笑い飛ばそうとしましたが、次第に自分の言葉が愚かしく聞こえることに気が付き、話題を変えるようになりました。イエス様が、ジルたちとともにいてくださり、アイデアを与え、信仰を成長させてくださったのです。

 あらゆる機会を通じて、キリストを宣べつたえましょう。また、信仰を持ってからも疑問や疑いが出ることがあります。それを、信仰を深めるために考え、調べ、思い巡らす機会としましょう。イエス様はいつも私たちとともにいてくださいます。