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2011年4月24日日曜日

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」ルカによる福音書24章6節



 映画俳優シルベスタ・スタローンは無名時代、成人映画に出演したことがありました。成功後、その映画を買い取らないかと言う話がありましたが、断りました。「どんな過去があろうとも、神に心を向ければ生まれ変わることが出来ます」と、スタローンは語りました。

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」ルカによる福音書24章6節

 イエス様は、私たちの罪の身代わりとして十字架に架けられ、私たちが神と正
しい関係になれるようにしてくださいました。そして3 日後に死者から復活され、
今もわたしたちを救い、希望を与えるために生きて働いておられます。

 米国のホイト夫妻の長男リックは小児麻痺でした。医者は「お子さんは植物人間であり、決して話すこともありません。次の子に期待しなさい」と言いました。しかし、母親のジュディーはリックの目に知性を感じ、牧師に相談しました。選択は二つあります。施設に入れて忘れること、もう一つは、一日づつ生きて息子を愛し、養い、他の赤ちゃんと同じように育てることです」。両親は愛情を注いで育てる決心をします。ふたりはリックに一生懸命話しかけ、アルファベットも教え、12 歳で首で操作するパソコンを使い意思を伝えること、車椅子にそのパソコンを付け、学校へも通えるようになりました。15 歳のとき、事故で全身麻痺になった大学生のためのチャリティマラソンに出場したいと父親が車椅子を押し、一緒に完走しました。レース後リックは「お父さん、走って押してもらっているとき、僕、障害者だってことを忘れていたよ」と言いました。その後二人は、マラソンを続け、3時間を切るまでになりました。リックは9年かけて大学も卒業し、トライアスロンにも挑戦するようになりました。医者は、リックは両親に悲しみ以外もたらさないと言いましたが、ホイト親子は、世界中の人々に、信仰と希望を与える者となりました。人間は不完全ですが、永遠の命が与えられれば完全になります。それが希望です。

 イエス様なしには、この地上でも、来世においても希望はありません。

2011年4月17日日曜日

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」テモテへの手紙一1章15節



 アメージング・グレイスの作詞者ジョン・ニュートン牧師は、かつて奴隷船の船長でした。アフリカから多くの人々を荷物として運び続けました。そんな彼もイエス・キリストによって救われ、信仰の無い人も感動する歌を作ったのです。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」テモテへの手紙一1章15節

 パウロはキリスト教への迫害者であった自分でさえ招き、赦してくださる、主の救いを、自らの体験を通して証ししています。

 太平洋戦争中、三木忠直さんは、特攻機なんか作りたくないと反対しましたが、ロケット特攻機「桜花」を軍の命令により設計させられました。1945 年3 月、「桜花」は撃墜され、百数十名が戦死しました。「私の設計した飛行機で、多くの若人が国のために散っていきました。そのことに深く心が痛む日々でした」と、自己嫌悪と後悔の日々を送ります。そんな彼を救ったのは「凡て労する者・重荷を負う者、われに来れ、われ汝らを休ません」( マタイ11:28 文語訳聖書) というイエス様の言葉でした。そして37 歳の誕生日に洗礼を受けました。その後、三木さんは技術を戦争に使わせないと誓い、新幹線開発プロジェクトに出会います。当時、東京―大阪間は蒸気機関車で7 時間30 分もかかっていました。鉄道技術研究所は、東京―大阪間を3 時間で結ぶ「夢の超特急構想」についての講演会を開きます。しかし、国鉄本社の人たちは、「非現実的」だとして聞き入れません。ところが国鉄総裁からもう一回講演内容を聞かせて欲しいという依頼があり、ついに新幹線プロジェクトが動き出します。1963 年、0 系新幹線が完成、256km の世界最高速度を記録しました。その技術は、超高速列車の基本となり、世界中から目標とされる存在であり続けています。三木さんは生涯、礼拝を守り、鉄道技術の開発に取り組みました。

 罪とは、父なる神への信仰を持たないことであり、それがあらゆる問題を生み出します。その罪から救われ、神の御前に義となる道が、キリストの十字架の贖いを信じる信仰です。人が救われるためには、十字架を信じるしかないのです。

2011年4月10日日曜日

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」ルカによる福音書22章42節



 悲しみを全てイエス様におゆだねして救いを得ましょうと、多くの人が慰められ、世界中で愛されて歌われている讃美歌『いつくしみ深き』はジョゼフ・スクラィヴィンが、大切な人を亡くした後、母を慰めるためにこの詩を書きました。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」ルカによる福音書22章42節

 御心に適うならば、祈りは必ずかなえられます。しかし、大事なのは「御心のままに」と祈り、神の答えが望み通りでなくても、神に絶対に従う信仰です。

 日本人のクリスチャンはたくさんいます。初代文部大臣の森有礼は、日曜日には神を礼拝するためにと、日曜日を休みとしました。歯磨きのライオンを創設した小林富次郎は、事業の失敗から信仰によって立ち直り、晩年には伝道活動に専念します。19 歳で洗礼を受けた野口英世は、魂の目で細菌の研究をしました。「花」や「荒城の月」を作曲した滝廉太郎、「赤とんぼ」を作詞した三木露風、「ふるさと」を作曲した岡野貞一は、皆クリスチャンです。教会に行く日曜日は公務にあたらないという条件で東京大学の総長を引き受けた矢内原忠雄という先生がおられました。「特攻機」の設計をさせられた三木忠直さんは、戦後、信仰を持ち、平和のために技術を用いようと新幹線の設計に当たりました。もの作りではなく、人を作る事が大切、と信仰を持って事業に当たったソニーの井深大( まさる) 社長、宅配便を作り出したクロネコヤマトの小倉昌男社長もおられます。これらの方々は皆、逆境の中で、神さまの御前でへりくだり、自分の望みではなく御心がなされますようにと祈り、祈ったことと、神様の答えは違ったかもしれませんが、より、すばらしい導きに出会い、聖霊の力によって新しい発想、体験をして、神によって生まれ変わり、日本国を形成してきた人々です。

 祈りは、わたしたちを慰め、励まし、実際に導いてくださる聖霊が与られます。人間は努力だけでなく、聖霊によるひらめきが与えられなければなりません。それは祈りのうちに与えられます。御心が適うようにと祈り、愛の業を続けていきましょう。神がわたしたちを通して御心をなされるのです。
                   参考文献「成長」 CS 成長センター 「御翼」 アンカークロス出版