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2009年11月29日日曜日

『地の果てのすべての人々よわたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。』イザヤ書45章22節



 素粒子の研究に携わっている私の弟は、「人間の知っていることはほんの僅かだ。だから、神様の奇跡のことはそのまま受け入れれば良い」言いました。ほとんどの人が真実だと思っている科学でさえ、本当は真実にたどり着くことは出来ません。唯一の神様だけ本当に存在しています。そして、私たちを導いてくださっているのです。

『地の果てのすべての人々よわたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。』イザヤ書45章22節

 モーセに対し神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」とおっしゃいました。ただ一人、存在し生きておられる神様だけが、私たちを救い導いてくださいます。本当の神様だけを信じ、従っていきましょう。

 難病の筋ジストロフィを患っている人がいました。彼にイエス キリストが愛していることを知ってほしいと、ある牧師さんが毎週のように訪問しました。しかし、彼の心の闇は深く、牧師の言葉を受け入れることはありませんでした。そのまま、彼は施設に入りました。入所先を探し出し、面会に訪れましたが、「もう合いたくない」と拒否されたそうです。その後8 年位たったころ、その牧師さんは偶然、お茶の水のキリスト教書店で、彼に会いました。声をかけると、彼は「僕はあなたにあえるようにずっと祈っていたのです。僕は去年のクリスマスにバプテスマを受けたのです」と、喜びの輝いた顔で言いました。同じ施設で知り合ったクリスチャンを通してキリストを知ったのだそうです。それから間もなく、彼は天に召されました。彼の妹は「兄はすばらしい生き方をしたと思います。兄にイエス キリストを伝えた人々に感謝しています」と語りました。生きておられる神様は、わたしたちに本当の恵をくださいます。

 木や石で作られた偶像だけでなく、科学も真理ではありません。「わたしはある」とおっしゃった唯一、本当の神様だけが真理に導き、恵みを与えてくださるのです。

2009年11月22日日曜日

『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。』エレミヤ書1章7節



 子供を育てていると、言いたくないことでも、言わなくてはならないことがあります。3 歳の娘がふざけて、食事の感謝の祈りをしたときなど、やり直しをさせます。子供だからしょうがないとはいえ、言わねばならないことがあります。

『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。』エレミヤ書1章7節

 神様は預言者エレミヤに、南王国ユダの滅亡を伝えるように命じられました。このようなメッセージを伝えることは勇気だけでなく、神様の召しに対する忠実さが必要となります。しかし、働きに必要な力や能力は神様が備えてくださるのです。神様の召しに、迷わず従っていきましょう。

 内村鑑三は、第一高等中学の教師だったとき、教育勅語の奉戴式に、彼だけが最敬礼をしなかったために、免職になりました。また、その記事が全国版の新聞に載ったため、内村家の人々は国賊だとののしられ、石を投げられたりもしました。内村鑑三は、天皇を神として崇めることしなかったために迫害を受けましたが、神様への信仰を貫きました。

 神様は、私たちを用いてくださいます。進んで神様のご用を果たしましょう。

2009年11月15日日曜日

『主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。』ペテロの手紙二 3章9節・10節



 「エミール」の中で、フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは「子供をだめにする一番簡単な方法は、欲しい物を何でもあげることだ」と言っています。神様もわたしたちに何でも与えるのではなく、まず、しなければならないことを教えてくださっています。

『主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。』ペテロの手紙二 3章9節・10節

 神様はどんな人も、滅びることを望んでいません。だから、クリスチャンは全ての人に福音を述べ伝える必要があります。イエス キリストの十字架にのみ、救いはあります。全ての人を救いたいと考えている神様の愛を伝えましょう。

 マザー・テレサの施設に「死を待つ人の家」があります。今日、明日にも死んでしまうであろう人が大勢運ばれてきます。ある人が、マザー・テレサに「なぜ、すぐに亡くなってしまう人に、薬を使うのですか?彼らに薬をあげても意味はない。意味のある人に薬を使うべきだ。」と言ったそうです。それに対し、「患者さんは、よく死ぬことが必要なのです。」と答えました。生まれて初めて薬をもらった人た
ちは、「サンキュー」と感謝をします。その光景を「それは本当に美しい光景だ」とマザー・テレサは言いました。どんな人にも分け隔てなく、キリストの愛を分け与えていました。

 キリストから受けた愛を全ての人に分け与えましょう。福音を全ての人に伝えましょう。神様は、一人も滅びずに救われることを望んでおられるのです。

2009年11月8日日曜日

『主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。』詩篇6篇10節



 論文のテーマで悩んでいた学生に、1952 年プリンストン大学の客員教授だったアインシュタインは、「祈りについて探求しなさい。誰かが祈りについて調べなければならない」と言いました。アインシュタインの晩年の関心事は霊的な働きについてでした。

『主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。』詩篇6篇10節

 神のために苦労して死んだ預言者の遺族が生活に困り、預言者エリシャは、主に祈り、彼らの生活は救われることになりました。いまでも、主は私たちの祈りに耳を傾けています。苦しみや悩みの中にあっても、主を信頼し祈りましょう。

 全国に100 名しかいない癌専門の看護師 田村恵子さんは、淀川キリスト教病院のホスピスで多くの末期癌患者のお世話をしています。患者達は、死の恐怖や公開など、様々な苦しみを抱えています。まず、医療用麻薬を使い苦痛を和らげた後は、心の痛みをいやし、残された日々を穏やかに過ごせるように配慮しています。「希望は、必ず見つかる」と信じ、祈りのうちに患者達を励ましているのです。田村さんは、10 年程前、癌で亡くなった友人から「希望は、必ず見つかる」ということを学びました。その友人は癌になり、治療は終えたものの、再発を恐れ無気力になっていました。田村さんが、「何かしたいことはないの」と聞くと、その二ヶ月後、彼は「ピアノが好きなんだ」と言いました。田村さんが促すと、病院のロビーで演奏してくれました。患者達から大きな拍手が起きました。その頃から彼は変わり始め、病院に来てはピアノを演奏してくれるようになったのです。その後、癌が再発しましたが、彼は、ヴァイオリンを始めたり、フランス語を習ったり生活は充実していました。ホスピスに入院した後、生きた証を残したいと、それまで書き溜めた文章を本にし、その装丁見本が届いた数時間後に、幸せだったと笑顔を残して亡くなったそうです。田村さんたちが、患者達の希望を引き出せるのは、キリストにより魂の救いがあるからです。

 どんな苦しい状況でも、希望は見つかります。それは、祈りによってキリストと出会い、魂が救われ、絶望の人生に希望の光が差し込み、永遠の命へとつづく希望と喜び、平安が与えられるからです。

2009年11月1日日曜日

『神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。』エフェソの信徒への手紙4 章1・2a 節



 「ブルースは悲しみに始まり、悲しみに終わる。ゴスペルは時に悲しみに始まるが、終わりには必ず希望へとつながる」ゴスペルの女王、マリア・ジャクソンは。言いました。毎日曜、教会で歌い、評判があがるとナイト・スポットへの出演依頼もありましたが、拒否し、神様への讃美のためだけに歌いました。彼女は、アイゼンハワー大統領、ケネディ大統領の就任式にも招かれる歌手になったのです。

『神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。』エフェソの信徒への手紙4 章1・2a 節

 神様の働きを継承させるために、働き人を召し出されます。選ばれたからには、神様の期待に添った人生を歩む必要があります。様々な事柄は神様が備えてくださいます。だから、私たちは、神様の召しふさわしく、信仰と愛の実践が求められているのです。

 1940 年、ナチスドイツの迫害から逃れようと、ユダヤ人難民は日本通過のビザを求めリトアニアの日本大使館に押し寄せました。当時のリトアニア領事代理だった杉原千畝は、日本政府からの「ユダヤ人難民にビザを交付しないように」という命令もあり、悩み、苦しみ眠れない夜を過ごしていました。クリスチャンであった彼は、夜通し祈り続け、妻に「私を頼ってきた人を見捨てるわけにはいかない。でなければ、私は神に背くことになる」と語り、ユダヤ人らにビザを交付することを伝えました。その瞬間、彼らは躍り上がって喜んだそうです。それからおよそ一ヶ月間、朝から夜遅くまで、昼食もとらずビザを一人で書き続けました。総数2139 通。家族用のビザもあったので6000 ~ 8000 人のユダヤ人の命が救われたのです。彼は、政府の命令を無視したために外務省を解雇されました。しかし、彼は神から与えられた使命を、彼にしか出来なかった任務を勇気を持ち、愛をもって果たしたのです。

 私たちは全員、神様からの召しにあずかっています。牧師や伝道者だけでなく、全ての人は神様から、それぞれ賜物を与えられ、その与えられた能力や力をもって神様のお役に立つように生きていきましょう。神様から与えられた恵を、愛を、全ての人に与えていくのが私たちの使命なのです。