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2010年11月28日日曜日

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」ヨハネによる福音書4章24節


 「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主の名を誇る」詩篇20:7 にあります。聖書から軍事力を正当化するようなことは、神を正しく礼拝している態度とは言えません。

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」ヨハネによる福音書4章24節

 サマリアの女にイエス様が語った言葉です。「神は霊」であるから、人間も霊の領域「魂」で神様を礼拝しなくてなりません。「霊と真理」で礼拝するとは、魂が聖霊で満たされるように、自分自身を献げることなのです。

 アメリカ真コーメック神学校、バークハート教授は、礼拝に「認識」「人生のリハーサル」「宣教」の三つの次元があると言います。
1「認識」 神様が愛と愛と正義恵みに満ちた方であると認識し、受け入れる。神様に自分自身を開放し、新しく自分を変えてくださる現実を受け入れる。
2「リハーサル」 リハーサルは登場人物の性格づけをし、セリフを覚え、役を演じられるように繰り返す。礼拝は神の子となるためのリハーサルである。
3「宣教」 礼拝がキリスト者の生活のモデルとなるとき、礼拝が「認識」「リハーサル」の場となるとき、キリスト者が隣人と社会に対し、何をなすべきか明らかとなる。それが「宣教」となるのである。  J.E. ハークバート『礼拝とは何か』
 結婚問題など、リハーサルなしで臨むとき、多くの悲劇が生まれています。しかし、聖書を通して、わたしたち人類が犯してきた様々な過ちを知ることができます。

 礼拝において、わたしたちの魂が、神様からの夢、思想、理想、願望で満たされることが、人生のリハーサルとなります。礼拝が、キリスト者の人生の練習だとすれば、キリスト者の実生活は、「礼拝的」なものとなるべきなのです。

2010年11月21日日曜日

「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」箴言3章6節


 ある人が「お祈りは弱い人がすることだ」と言いました。でも十字架にかかられたイエスさまが「彼らは何をしているのか分からないのです。彼らを救うためには神さまに従います。」とおっしゃいました。弱い人はこんな事出来ません。

「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」箴言3章6節

 ソロモンは神さまからいただいた知恵により、イスラエルを治めましたが、慢心し、自分を治めることは出来ませんでした。自分中心ではなく、いつも、神様を見上げ、神様の教えを守って行くところに、祝福があり、幸せがあるのです。

 ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースさんは、子どもの頃から教会に通っていました。大人になって、まず蒸気機関車の機関士をしました。しかし、病気や怪我の手当のことを会社と話し合っていたところ、会社を辞めさせられました。その後、ガソリンスタンドの経営を始めました。その方針は「自分がして欲しいと思うことを他人にもしてあげなさい」でした。お腹を減らしてお店にくる人を見て「車にガソリンが必要なように、お客さんにも美味しい食事が必要だ」と考え、フライドチキン、ビスケットなどを用意しました。その中でフライドチキンの美味しさが評判になり、今度はガソリンスタンドをやめて、レストランにしました。お店はいつもお客さんでいっぱいでした。 ところが、高速道路が出来た事で、お店の前を通るお客さんが減り、とうとうお店も閉め、お金もなくなってしまいました。その時カーネルさんは65 歳でしたが、「神さま。どうか私のフライドチキンのアイデアを成功に導いて下さい。そうしたら、あなたの分を渡します」とお祈りし、車で1 軒1 軒レストランに、ケンタッキーフライドチキンのレシピを宣伝してまわり、フランチャイズを造り、それが今では世界中に4 千ものケンタッキーフライドチキンのお店が出来たのです。

どんな苦難にあっても神さまの事を忘れずに、祈りながら乗り越えましょう。なにをするにも神さまが味方してくださらないやり方では、うまくいきません。

2010年11月7日日曜日

「全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。」歴代史上28章9節



 クリスチャン医師・日野原重明先生は、牧師であった父親から「大きな夢(vision)を持ち、その実現のために勇気をもって行動する冒険(venture ) があれば、いつの日か、死んだ後かもしれないが、必ず勝利(victory) が実現する」と、三つのVについて教えられていました。人から出た計画や行動は自滅しますが、神さまから出たものは、誰もその業を止めることはできません。

「全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。」歴代史上28章9節

 ダビデは神殿建設を息子ソロモンに託しました。それは神の計画でした。ダビデは、主を信頼することを教えました。わたしたちは、神に守られ、支えられ、祝福されていることを覚え、感謝と讃美を持って魂から神に仕えましょう。

 宣教のためハイチを訪れたトニー・カンポーロ牧師が、少女3 人に呼び止められました。「おじさん、10 ドルで私は一晩おじさんのものよ」と言いました。牧師はホテルと部屋番号を教え、30 分後に3 人とも来なさい、と言いました。ホテルに戻った牧師は、3 人の少女に、ディズニー映画を観せ、お菓子を食べさせました。彼女らはディズニー映画を観て、大笑いし、夜中の1 時頃には、寝込んでしまいます。牧師は「私は現地の言葉を話せず、彼女たちをキリストに導くこともできない。少女たちは、明日の晩、再び街角に立ち、10 ドルで自分たちを売るであろう。何も変えることができていない」と思いました。その時、内面に声が響きました。「一晩だけでも、お前はあの少女たちを、再び『子ども』にしてあげられた。一晩だけでも、彼女たちは、楽しい時が過ごせた。お前は自分にできることを精一杯やった。それでよいではないか」と。神さまが求められるのは、各自ができることだけであり、それ以上のことではないのです。
 
 小さな行いでも、神さまから出た救いのための計画や行動は、聖霊の導きにより限りなく発展して行きます。結果は神さまにお委ねすればよいのです。 何か永遠的なものを求めて歩むことが大切です。イエス様を迎え入れ、神さまが私たちを通して成そうとしておられる業を始めましょう。