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2010年1月31日日曜日

あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、主の目にかなう正しいことを行いなさい」 申命記 6章17・18節



 英語を学ぶのに、文法は必要がないとと言った風潮があり、実際、中学校では会話表現の方が重視され、以前程、文法を教えていません。しかし、正しい方法で覚えていかないと、英会話も出来ません。先人たちが行ってきた事には、それなりの理由があるのです。

「あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、主の目にかなう正しいことを行いなさい」 申命記 6章17・18節

 信仰生活は、古い認識や知識のうえだけに立ってはならず、今の価値観や自己流の信仰生活では、正しく生きる事はできません。聖書を学び、そこから神様に喜ばれる生き方を常に学ばなければならないのです。

 「必要以上の税を集める事は、合法的強盗である」米国30 代、クーリッジ大統領はそんな名言を残した人でした。彼は、ホテルに泊まっている時、自分の服を探っている泥棒を捕まえました。しかし、警察に突き出すのではなく、その若者と話をしました。その泥棒は、盗んだ相手が大統領と知り、理由を話しました。大統領は、彼を信用し逃がすだけでなく、32 ドルを貸したのです。結局、その男は32 ドルをローンで全額返済したそうです。十戒には「盗んではならない」とあります。これは、今でも守らなければならない事です。しかし、クーリッジ大統領は、クリスチャンとして、その若者の危機を知り、法を守るものであるまえに、父親や友人のように接したのです。そして、大統領は、彼が、その愛の行為に答えてくれると信じたのです。

 わたしたちクリスチャンに必要なのは、過去の決まりごとに従うだけでなく、現在の価値観に捕われるだけでなく、神様のみに従い、イエスさまがなさったように行動し生きる事を求められているのです

2010年1月24日日曜日

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」テモテの手紙2 3章15節



 弟が誕生日に「聖書物語」という絵付きの聖書をもらったことをきっかけに、4歳ごろから、毎晩、布団に入るまえに聖書を読むことが習慣になりました。それ以来、もう何回も繰り返し、繰り返し聖書を読んでいます。小学生の頃には、一通り聖書の物語は知っていました。

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」テモテの手紙2 3章15節

 聖書は、目には見えない神様がおられる事と、イエス キリストの十字架による神様との和解の手段を示しています。聖書を読むと、私たちは罪深く、十字架による救い以外に方法がない事を知ることができます。聖書はイエス キリストによる罪の赦し、心の癒し、清め、救いを受けさせる書物です。

 中3の夏休みにアメリカで一ヶ月間ホームステイをしました。そのとき聖書を持っていき、初めて、習慣ではなく自分の意志で聖書を開いて読んだのだと思います。ひとつひとつの御言葉が魂に響いてきた事を覚えています。ただ漠然と読んでいた時には気が付かなかった、イエスさまの救いの御言葉が、まるで初めて読んだように、新鮮に感じられました。それは、今でも同じことです。

 聖書は、私たちにいつでも語りかけてきます。イエス キリストによる十字架の救い、罪の赦し。どんな時でも、私たちを真理に導いてくれる、ただ一つの書物なのです。

2010年1月17日日曜日

あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。ヤコブの手紙2章16・17節



 日本語には、元もと文字がなかった。中国から漢字が輸入され、様々に転用されて今日の文字文化は形成された。口語( ことば) では充分に表現できなかった言語も漢字を当てる事で、意味を伝える事が可能とされた。取る、撮る、盗る、採る、執る、捕る、摂る。等々文字から様々な状況を把握することが出来る。その様な事情からか、日本人は造語の能力に大変長けていると思う。[Loveing] という見出しについて、以前話した事がある。飢餓に苦しむ人々を助けようと云う趣旨のパンフレットに使われていた。
 「目は口ほどにものを云う。」と云われる。聖書にも「目はこころの窓。」と書かれている。事務的な表現、規則通りの行動、毅然とした態度は、大切な事であるが、人間関係はそれだけでは成立しないのである。親切にされた, 思いやりを感じたと云う「こころ」の動きが感じられるとき、人間関係における潤滑油は機能するのである。
 イエスの兄弟であったヤコブとパウロとの確執は、古来様々にささやき続けられてきた。ヤコブの手紙は、パウロの主張に対するヤコブの反論であるとか、行動の伴わない信仰は存在しないとの論説はパウロを意識している等々であるが、パウロへの攻撃ではなく、パウロの教えを曲解する人々への警戒である事は明かである。
 「お里が知れる。」と云う言い草がある。ずいぶん失敬な表現であると思うが、在る意味で真実であるだけに、留意すべきであろう。子どもの頃からの環境を云々するのは酷ではあるが、訓練と配慮、また自己の啓蒙によって補う事が可能であるとすれば、人の一挙手、一投足がその品位を上げ下げする。何気なく行った行為が、会社の業績や、個人の将来に多大な影響をもたらす事に心せねばならない。大先輩の牧師は「我々キリスト者は、天国の鍵をあずかる者、現代に於けるキリストの代理、革靴を履いた聖書だ。」「人々が最初に読む聖書は、革靴を履いている。」
 聖書を学び、心から神を信じ、教えを実践する私たちは、人々の読む最初の聖書である。引き続き聖書に興味をもって頂くために、より分かり易い聖書に徹するむね心せねばならない。 社員が電話を手に取った時、その会社の顔になる。お客に茶菓を差し出す時、会社の品位を代表していると云われる。明るいトーンの会話は、会社に利益をもたらすのである。日頃の業務も、こころと思いとの積み重ねに重要な意味がある。ひと言の声かけ、自然に差し伸べられる手、行動が潤いを生み出すのである。(愛一師)

あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。ヤコブの手紙2章16・17節

2010年1月10日日曜日

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」ヤコブの手紙1章21節



 子供を誉めることと、叱ることの最終目標は、善悪の判断をつけさせることにあります。前頭葉の発達していない幼児は、感情で動くことが多く、誉められて気持ち良くなる、叱られて嫌な気持ちになる体験を繰り返し善悪の判断をつけさせるのです。そのためには、親からの感情のこもったふれあいが必要です。

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」ヤコブの手紙1章21節

 ヤコブは悪を捨て去ること、つまり、罪を悔い改めること。そして聖書の御言葉、イエスさまの教えを受け入れ、それを自分の中で手入れし育てるように、勧めています。そのことにより、神と人を人を愛する者へと変えられるのです。

 「勉強しない学生は好きではない。君たちのうち50%はパスしないだろう」と大学教授フロイド ベーカー博士は学期はじめに訓示していました。実際50%の学生が落第していき、教授たちは、落第生が多い教授の方が優秀なであると考えていたそうです。ベーカー教授は、そのころ奥さんと一緒に熱心に活動する教会へ通い始めており、牧師から、「もし問題があったら、聖書を読むことによって、答えを見つけ出せる」と言われました。どうしたら学生たちのやる気を出すことができるか?と、聖書を一章づつ読み進め、コリント1 13 章『愛の書』できっかけを得ました。その後、生活の中にいつもキリストを感じるようになりました。次の訓示では、「私は全員がパスすることを望んでいる。課題は難しい。しかし、私たちが協力すれば、このクラスは全員パスできる」と語りました。クラスには今までとは違った雰囲気になっており、採点基準を落とさなかったにもかかわらず、全員がパスしたのです。

 悪を脱ぎ捨て、聖書の御言葉を受け入れ、それを、私たちの生活に活かしていきましょう。

2010年1月3日日曜日

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、 神と人とに愛された。」ルカによる福音書2章52節



 男の子は女の子よりも育てるのが難しいと言います。男の子は父親に、側にいてほしいと願います。男の子が男らしく育つためには父親の役割が大切です。

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、 神と人とに愛された。」ルカによる福音書2章52節

 ユダヤの少年は13 歳になると、バル・ミツバ( 律法の子) という儀式を受け成人に数えられました。イエス様も両親と一緒にエルサレムにいきました。イエス様は学者たちに囲まれていました。彼らはイエス様の知恵と答えに驚きました。人として生きたイエス様は両親から愛され、正しく信仰を学びました。

 今日、男の子が男らしく育つための環境が悪化していると言います。メディアメディアからの影響により、本来の男との姿がゆがめられていると同時に、家庭での父親の不在が悪影響を与えています。男の子は傷つきやすい環境にあります。子供が混沌とした社会の中で育ち、未熟、不道徳、意志が弱く、臆病、自分には甘い男性が増えています。親はこれらの悪影響から、子供を守る義務と責任があります。そのためにキリストを愛する信仰を持つ人へと育てなければなりません。
父親の役割(ドブソン博士)
1 家族の暮らしの必要を満たす

2 家族の指導者となる

3 家族を外の世界から守る

4 霊的な方向を示す


 信仰的な生き方を示し、証する父親となりましょう。神よって定められた善悪の基準を教える必要があります。また、キリストへの信仰には、十字架による赦しがあります。男の子も女の子も罪の許しを知らなければなりません。信仰こそが将来直面する困難に挑戦する準備となるのです。