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2009年8月30日日曜日

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネによる福音書3章3節



 落語家の「露の五郎兵衛」何度も死にそうな目に遭い、誰かに生かされていると考えるようになりました。牧師と結婚した娘夫婦から、「わたしがあなたを選び、あなたを任命したのです」ヨハネ15:16 の御言葉を教えられ、キリストに従う落語家になりました。「イエス師匠に『お前は罪人や』と言われたら、その通りですと、『おまえを愛してる』と言わはったら、ありがとうございますと感謝する」と言いました。知識としてではなく、生きる力として確信を持って神を信じているのです。

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネによる福音書3章3節

 「新たに」は、新約聖書が書かれたギリシア語ではアノウセン、「上から、天から、新たに」の意味になり、「見る」はホラオウの訳で、「経験する、味わう、分かる」などの意味が強くなります。神の御心を行うためには、へりくだって聖霊により魂が新たにされる意外に道はないのです。

 キリスト教を背景としたファンタジー「ナルニア国物語」の作者C.S ルイスはオックスフォード在学中、第一次世界大戦など様々な体験から無神論者なり、神を憎み、否定する詩を書くほどでした。しかし、彼が大学で得た友人は皆クリスチャンだったのです。理性的で論理的なルイスは、彼らの生き方惹かれていることに気が付き、このような魅力的な生き方をするのがクリスチャンならば、キリスト教は本物だと思い始めたのです。神話の様な話が好きでしたが、キリスト教が作り話と思える間は信じる訳には行きませんでした。ある日、「指輪物語」の作者であるクリスチャンのトールキンが、「キリストの話は世界で唯一の『本当の神話』なんだよ」と説明を受け、数日後イエスさまが真実であると悟りました。ルイスはキリストは神であり、人であるという真実を「神話が歴史になった」と表現しました。

 落語家の「霧の五郎兵衛」を、「ナルニア国物語」のC.S ルイスをキリストに導いたのは、聖霊により新しいいのちを与えられ、神と人を愛する喜びを知ったクリスチャンたちだったのです。聖霊により新しい命を得た者たちは、神を愛する喜びを知り、神に従い、人々を愛する者になるのです。

2009年8月23日日曜日

「忠実な人は多くの祝福を受ける。」箴言28章20節



 女優のように美しかった韓国の女子大生、イ・チソンさんは交通事故により全身が黒焦げになる大火傷を負いました。「お兄ちゃん、私を殺して。こんなになっていきていけないわ!」と絶望の叫びをあげるほどでした。しかし、キリストにより救われ、それから5 年後にはチソンさんはアメリカに留学し、2008 年ボストン大学リハビリ相談学修士- 2009 年現在米国, ニューヨークにあるコロンビア大学Social Work 専攻で修士学位過程中です。彼女は「私を『弱ったり、苦しんでいる人への器』として召されたイエス様の力です」と、語りました。

「忠実な人は多くの祝福を受ける。」箴言28章20節

 どんな苦難にあっても決してあきらめてはいけません。たとえ、もう終わりだと思っても、神を信じる者には、神様が新たな道を示してくださると、言うことだからです。どんな困難にあっても神の前に忠実に生きること。最善を尽くし、忠実に歩む時、わたしたちは祝福を得るのです。

 牧師の娘である大藪ノブ順子さんは1999 年アメリカ留学中にレイプ事件に遭いました。男は逮捕され禁固20 年になりましたが、彼女はうつ症状と男性恐怖症、パニック障害の発作で苦しむようになりました。自分の無力さを思い知り、全てを神にゆだねるしかないと、聖書を真剣に読み進めたそうです。犯人に手紙を書いてはどうかという、牧師の勧めに、「そんなバカな話があるだろうか」と思った
そうですが、祈りのなかで「いま、それをしなさい」という御言葉を聞き、彼女は手紙を書きました。「犯人を赦せる時がきたらいい」と書いて投函すると、大きな喜びがあふれ、それまで笑うことができなかった彼女に笑顔が戻って来たそうです。その後、彼女は新聞社専属のカメラマンとなり、「性犯罪サバイバー達の素顔」というプロジェクトを行いました。「レイプにあってよかったと言っているのではない。つらい経験がつらい経験がるからこそ、神の計画のなかで用いられている自分を知ることができた。そして憂いが幸せに変わった」と彼女は語りました。

 困難の中にあっても、神様の前に忠実に生きること。最善を尽くし、忠実に歩む時、神様が新たな道を示してくださり、わたしたちは祝福を得るのです。

2009年8月16日日曜日

「 あなたのたみは、わたしのたみ。あなたの神は、わたしの神。」 ルツ記1 章16 節



 飛行機を発明したライト兄弟の父親は、牧師でした。優しい父親でしたが、日曜日の礼拝は徹底させました。そのため、ライト兄弟は日曜日には飛行機を飛ばさないと決めていたほどでした。

「 あなたのたみは、わたしのたみ。あなたの神は、わたしの神。」 ルツ記1 章16 節

 人にキリスト教を伝えることは、ただ教義や思想を語り、賛成してもらうことではありません。生きる神にひとりづつ、引き合わせ紹介する様なものです。本当の神様を認めて、「神様に従います」と信仰へと導くことなのです。

 「神様に近づきたければ、子供をぎゅっと抱きしめて、その魂の救いのために何かをしなさい」と、アメリカ、インディアナポリスのトム・ベンジャミン主教は言います。神様を知るために、様々な本を読んだり、神学的なディスカッションをする人も多いでしょうが、ベンジャミン主教は「とにかく、子供を抱きしめ、聖なることを教えなさい。誘惑からどのように身を守るか、どう祈るべきか教えなさい。子供たちの人生を正しく導くように行動すれば、神に近づくことが出来る」と言います。彼が5 歳の時、彼の両親は離婚しました。父も母も仕事でのキャリアを求め、子育てを放棄し、息子を駅に連れて行き、一人で夜行列車にのせました。寝台車のなかで、5 歳のベンジャミン少年は一晩中眠ることができませんでした。翌朝、電車を下りると、そこには祖母が迎えてくれました。「祖母は、私を祝福し、抱きかかえ、育ててくれた。祖母のおかげで麻薬にも手を出さず、刑務所に入ることもなく、いま、わたしは牧師としてここに立っている」と主教は言いました。多くの子供たちは傷ついています。純真な魂を迷わせることなく、神の子として正しく育てるために、イエスさまの様な愛をもって、愛しましょう。イエスさまの愛以外に、人が救われる道はないのです。

 人を、子供を励まし、聖書の真理を教え、祈る人になりましょう。それこそが、キリスト教を伝えることであり、ひとりひとりを、神様への信仰へ導くのです。

2009年8月9日日曜日

「 わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16 章28 節



 レオナルド・ダ・ヴィンチがイエスさまの姿を描こうとした時、少年が大きな音をたててしまいました。彼はその少年を叱りつけ追い出し、絵筆をとろうとするとイエスさまの絵が描けなくなっていました。彼は少年を捜し出し、謝罪をすると、再びイエスさまの顔が描けるようになったそうです。

「 わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16 章28 節

 神様に背き、力を失った怪力の士師サムソンの悔い改めの祈りの一節です。彼の怪力は神様の力によるものであり、サムソン自身の力ではありませんでした。神様に見捨てられ、敵の捕虜となり絶望のなかで、サムソンは神様に悔い改め、祈りました。そして、彼はもう一度神様の力を取り戻したのです。過ちを認め悔い改めるとき、神様は赦してくださいます。そして力を与えてくださるのです。

 ヴァイオリニストの蜷川いずみさんは、フランス留学時、思う様な演奏ができずに悩んでいました。彼女の住んでいた女子寮で働いていたフランス人女性から、日本語で書かれたキリスト教のパンフレットもらいました。そこには「虚しさを感じていませんか。本来あるべきところで、もう一度生きられるようにしてくださる方がイエスさまですよ」というメッセージがありました。彼女は「わたしの音楽に喜びがないのはイエスさまを知らないからではないか」と思ったそうです。神様を受け入れ、自己中心的な思い、神様に心を向けずにいたことに気が付き、音楽をやる目的も、神様からのプレゼントである音楽を通してイエスさまを誉め讃える、そのためにヴァイオリンを弾くようになりました。サラサーテのツィゴイネルワイゼンの出だしは、「自分は罪人です」と告白するように、そして地の底から上に向かい神に祈る気持ちで、独自の解釈で演奏するそうです。帰国後はオーケストラのコンサートミストレスをつとめ、またクリスチャン音楽家として各地の教会で演奏をしています。

 悔い改めは、人生の成功の秘訣です。自己中心的な思いを捨て、心を神様に向けましょう。心が神様に向いていない的外れ(ヘブル語での罪の意)なわたしたちも、悔い改め神様の霊が注がれるとき、神と人々を愛せる存在となれるのです。

2009年8月2日日曜日

『 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。』箴言3 章5・6 節



 デイビッド ブレイナードはネイティブアメリカンへの伝道に、短い生涯を捧げた人です。西洋人の住まない密林を何ヶ月も旅をし、ネイティブアメリカンを主へ導きました。こころから主を信頼したからこそできた旅でした。

『 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。』箴言3 章5・6 節

 神様を信頼するのに、ここまでは信頼するけれど、ここは信頼できないということはありません。人はどんなに知恵や力があっても神様に勝ることはないのです。まず、全身全霊をもって神に信頼して行くことが大切なのです。

 トム ハンクス主演で映画にもなった宇宙船アポロ13 号は1970 年4 月に打ち上げられました。宇宙空間で大事故に会い、宇宙船の空気がほとんど失われる危機に、クリスチャンであった三人の宇宙飛行士たちは、神に祈りました。そんな彼らに、神様は勇気とアイデアを与えてくださいました。まず、月着陸船に移り、そこの酸素を使って、生き延び、大気圏に再突入するまでの時間を稼ぎ、無事に地球へ戻って来たのです。最年少の乗組員フレッド ヘイズは「わたしはこの事故に遭遇したとき、コリント信徒への手紙一 10 章13 節の御言葉を思い出しました。『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』

 最もすばらしい助言、アイデアは神様から来ます。わたしたちが失敗や、苦しみから助言が必要なときは、心から信頼し神様にお祈りしましょう。神様はわたしたちに最前のものを与えてくださいます。