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2009年9月27日日曜日

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書19章10節



 「アメージンググレイス」の作詞家、ジョン・ニュートン牧師(1725 ~ 1807) は,かつて「ならず者」でした。奴隷船の船長だった彼は、航海中に何度も奇跡的に命が救われ、幼い頃、母から聞いたキリストを思い出し、悔い改めました。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書19章10節

 イエス様は救い主として、この世に来られました。そして、いつでも罪の中で苦しんでいる人を捜し出そうとされています。たとえ、私たちが最悪の者であろうとも、救いの手を差し伸べてくださるのです。

 太平洋戦争に突入した頃、一人の母親が毎日、病気の男の子を背負って、豪雪の中を病院に通っていました。食料事情の悪いときに生まれ、栄養失調になり、母乳も飲むことが出来きませんでした。唯一、医者にブドウ糖を注射してもらうことが、生き延びる方法でした。医者も、父親も、親戚、周囲の人たちも、この子供は助からないとあきらめ、「戦争中なんだから、かわいそうだけどしかたがない」と口々に母親を説得したそうです。しかし、彼女は反対を押し切り、一日でもいいから生きてほしいと、毎日、半分雪に埋もれながら病院通いを続けました。橋を渡ると遠回りになり、子供を長時間冷気にさらさないように、氷の様な川を子供を肩に乗せて歩いて渡りました。母親のおかげで命を取り留めた、その男の子は、クリスチャンの弁護士佐々木満男先生です。現在も、弁護士として働きながら、福音の伝道を続けていらっしゃいます。「もしもあのとき母があきらめてしまったら、私はこの世には存在していないのです。この体験から、私は困っている親子を見ると黙って見過ごすことができず、いつの間にか助けているのです」と、証していました。

 神様は、決して私たちをお見捨てにはならず、救いの御手を差し伸べてくださっています。自らの罪を認め、悔い改め、その差し出された御手を取りましょう。いつでも、神様は「失われたもの」を捜しくださっています。

2009年9月20日日曜日

「わたしは、世にいる間、世の光である。」ヨハネによる福音書9章5節



 三重苦のヘレン・ケラーを導き、生涯を共にしたサリヴァン先生は有名ですが、聖書を良く理解したいと願っていた彼女に、聖書を点字に訳し信仰に導いたヒッツ氏のことは彼女ほど知られてはいません。「ヒッツ氏の訳した本を読んで、キリストこそ神を表し、新しい命を人に送り込むものであることを知った」と、ヘレンはその著書のなかで言っています。

「わたしは、世にいる間、世の光である。」ヨハネによる福音書9章5節

 イエス様の活動の時間に限りがあるという意味ではありません。私たち自身がキリストの命、働きを自分のものとする機会は限られているということです。魂が救われるために、キリストを受け入れるのに遅過ぎることはありません。しかし、世の光となるために信仰を持つ時は早い程よいのです。

 真珠湾攻撃の総指揮官であった淵田美津雄氏は、戦後伝道者になりました。ビリー・グラハムの伝道テレビ番組に出演したとき「キリストを知る以前から(神による導きを感じる様な)変化が起こった」と語りました。戦中、彼は信念を持って戦いましたが、戦後になると日本を戦争に追いやり、敗戦させた張本人として日本人からも白い目で見られるようになりました。田舎に引きこもり、土を耕す毎日の中で、彼は創造主を深く思うようになりました。「世俗を捨てた生活態度の中に、神への思慕を知り始めたことは、光明でありました」日本軍に宣教師であった両親を殺されながらも、捕虜収容所で日本人に親切にしてくれたアメリカ人のお嬢さんの話や、東京を憎しみを込めて空襲し、捕虜となり、キリストに変えられ、日本伝道に来た軍人の話を聞き、彼ら変えた聖書を読み始めます、赦しの意味を知り彼は48 際で生まれ変わりました。戦後8 年目に聖書を携え渡米、伝道者となった真珠湾攻撃隊長として、10 年間で4 万キロを巡り、神の愛を語りました。

 私たちは、誰もが救われるようにキリストによって選ばれています。神の愛に触れてたなら、神に選ばれた者として、愛の業を行えるものに変えられるのです。

2009年9月13日日曜日

「それゆえ、主は恵みを与えようとして あなたたちを待ちそれゆえ、主は憐れみを与えようとして 立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。」イザヤ書30 章18 節



 19 世紀末、酒や女、堕落した生活からぬけ出したいと、キリストを受け入れ、罪を告白したジョージ・ウィリアムスは荒廃して行く若者たちに心を痛め、都市勤労青年の生活改善のため、職場の仲間12 人と祈り、学び合う集会を始めました。これがYMCA(Young Men's Christian Association) の始まりでした。

「それゆえ、主は恵みを与えようとして あなたたちを待ちそれゆえ、主は憐れみを与えようとして 立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。」イザヤ書30 章18 節

 外敵の脅威に、エジプトを頼ろうとしたイスラエルに預言者イザヤが警告した中で語られた一節です。真の救いは神様、ご自身です。神に信頼すれば、救われ、また力を得ます。祝福、恵は、一方的に神から与えられたものですが、その神の恵みにより頼む者になりましょう。

 明治時代の兇悪犯、好地由太郎は子供時代奴隷の様な生活を強いられ、荒んでいきます。18 歳でお店の女主人を強姦し、抵抗されたため殺してしまいます。投獄され、キリスト教の路傍伝道禁止で勾留されていた青年と獄中で知り合い、その態度に感心し、「どうようにすれば君の心のようになれるのか」と聞きました。すると彼は「耶蘇教の聖書をお読みなされ」と応えたそうです。由太郎は聖書を読み始め、罪を知り、キリストの救いを知り、祈るようになると、親切で優しい人間に変えられました。また人のいやがる仕事を進んでやるようになりました。また、自分が殺してしまった女性の遺族にもお詫びの手紙を書き、僅かな賃金で貯めていたお金を送りました。彼は最良の模範囚となり、1904 年仮出獄し23 年間の刑務所暮らしを終え、出獄後は刑務所を巡る巡回伝道者になりました。自らの救いの体験を証し、多くの囚人を福音に導きました。彼はどんなことをしても償えない程の罪をおかした重罪人でしたが、キリストにより神の子とされ、人々
に信仰と希望と愛を与える者になったのです。

 自分の努力ではなく、キリストにより、私たちは神の子とされます。そのことを受け入れる者は救いを得るのです。

2009年9月6日日曜日

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネによる福音書4章14節



 東京、根津教会の主任牧師をしておられる鍋谷憲一さんは、三井物産に29年間勤め、社会的にはエリートと呼ばれる人でした。彼がキリストをの言葉を受け入れるきっかけは、海外赴任中に教会へ通い始めた奥さんに誘われて参加した教会の修養会でした。「だましだまされの商社マンですから、信仰なんて持てません」と言うと、「つらいでしょうね。そういう生き方は」と、ぽつりと漏らした参加者の一言が強く胸に残ったそうです。いくら地位や名誉があっても癒しきれない渇きがあると、実感させられた瞬間だったのでしょう。

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネによる福音書4章14節

 好きなこといくらを続けても、欲望が治まる事はありません。人は神の性質、永遠に価値のあるものでしか満たされる事がないのです。それを与えてくださるのがイエスさまの言葉です。主の言葉はそれを受け入れた者の中で、聖霊により、命の泉となるのです。

 親しみやすいメロディと、メッセージ性の強い歌詞で、1970 年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発したミュージシャン、ビリー・ジョエルは、全世界で1 億5000 万枚以上のアルバムの販売を記録しました。しかし、彼には二度の離婚歴があります。「最も幸せだった時は、伴侶とうまくいっていた時だ。そんな良い関係を続けられる相手と巡り会えずにいる自分が腹立たしい」と嘆いていたそうです。「ロックの殿堂は自分をハグしてくれない。子供を産んでくれない。哀史、愛されるという家庭を僕も欲しい」とどれだけ有名になり、多くのお金と、この世の栄誉を得ようと、人は満足を得ることはできないのです。魂の渇きを癒すことが出来るのは、キリストの生きた言葉だけなのです。

 キリストの生きた言葉は、聖霊によりキリスト者の中で絶えず湧き出る永遠の命の泉となるのです。