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2010年12月26日日曜日

「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」ルカによる福音書2章31~32節



 クリスマス礼拝では、4 本のキャンドルを灯します。それは希望、平和、喜び、愛の象徴です。これらは、すべて神さまから賜物として与えられる性質です。努力では得られず、買えず、命と同様、神さまから与えられる恵みなのです。

「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」ルカによる福音書2章31~32節

 ルカによる福音書には、エリザベツ・マリア・ザカリヤ・御使いの讃歌と、救い主をお遣わしになった主を讃える讃歌が続きます。シメオンの讃歌は、神の救いが、全ての人に約束されていることを明確にしています。

 パトリックは、眼球がなく、ひじとひざを真っ直ぐに伸ばすことができず、更に、背骨も曲がらないよう、二本の金属棒が入れられています。障害を抱えながらも、彼はこれまでに、ピアニスト、トランペット、ボーカリストとして数々の大会で賞を獲得、7 つ以上のテレビに出演、雑誌の取材も多く受けています。また、全米各地、カナダ、南米、ヨーロッパ、アジアで演奏しています。彼は、成功の秘訣を「愛することをやって、やっていることを愛しなさい」であると言い、その人生は、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはす
べてが可能です」( フィリピ 4:13) を現わしています。彼は、できないことではなく、できること、障害を持つ代わりとして与えられている能力を特権と考えており、見えないことで、内面だけを見られることは、素晴らしい賜物だと考えています。神さまを愛する両親、二人の弟、周囲の人々から愛され、賜物を引き出させてもらい、世界中に愛なる神さまの存在を証ししている人生は幸せそのものです。

 神さまは、罪深い私たちを救われるために、大切なひとり子であるイエス様を送ってくださいました。今もわたしたちを救い、希望を与えるために生きて働いておられます。イエス様なしには、地上でも、来世においても希望はありません。

2010年12月19日日曜日

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカによる福音書2章14節



 4 世紀、嵐にあった旅人を助け、幼い子どもを守り、貧しい人に贈り物をしたキリスト教の司祭ニコラウスがいました。貧しくて三人の娘を嫁がせることの出来ない家に、真夜中、こっそりと金貨を煙突から投げ入れ、それが靴下の中に入った、という伝説があります。彼がサンタクロースです。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカによる福音書2章14節

 神であるイエス・キリストが、人性をとり人間となられました。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」ヨハネ1:14と、あるとおりです。神さまは人に立ち直る機会をお与えになりました。

 クリスマスになると貧しい人々に100 ドル札を配る謎の男がいました。彼はシークレット・サンタと呼ばれていましたが、自分の死期を知り、他の人にもまねをしてもらいたいと、ついに本人ラリー・スチュアートさんは名乗りでました。2007 年、58 歳でなくなるまで1 億5000 万円以上、寄付をしました。彼は貧しい家庭に育ち、自分で会社を起こすも、何回も失敗し、無一文になったとき、つい、レストランで無銭飲食をしてしまいます。財布を落としたとごまかそうとすると、レストランのオーナがテーブルの下から20 ドル札を見つけたふりをして彼に差し出し、「あなたのでしょう」といいました。彼は罪悪感でいっぱいになり、「いつか、自分が人を助けられるようになったら、そうします」とお祈りをしました。その後、ラリーは事業に成功し、現金を貧しい人に配りました。困っている人に、お金を渡すのはお金持ちとしての使命であり、このことから与える喜びとキリストの犠牲愛を示したかったのだと言います。

 イエス様は、裁くためではなく、赦すためにこの世に来られました。その大きな愛を知り、イエス様を救い主として受け入れ、あらゆる恐れを取り除いていただき、赦していただき、与えるものとなりましょう。

2010年12月12日日曜日

「そこで、マリアは言った。『わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救すくい主である神を喜びたたえます。」ルカによる福音書1章46・47節



 カリフォルニア大学の心理学教授、ロバート・エモンズ博士は感謝することと、人の心と体の健康への影響について研究しました。その結果、ただ、感謝するべきことを記録しただけで、幸せを感じ、頭痛になったり風邪をひくことが少なくなりました。

「そこで、マリアは言った。『わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救すくい主である神を喜びたたえます。」ルカによる福音書1章46・47節

 聖霊によって、救い主を身籠ったことを知ったマリアが、感謝の祈りをしました。彼女は自分に特別な恵みを受ける理由があるとは思いませんでした。むしろ、それは畏れ多いことだと感じていました。とるにたらない私たちに目を留めてくださる神さまを覚えることに、礼拝の感謝があるのです。

 1979 年、交通事故に遭い、下半身麻痺となったダニエル・ゴットリーブ博士は、集中治療室に入院中、自殺してしまいたいと思っていました。ある晩、夜勤の看護婦が「誰もが自殺したいと思うときがありますか」と心理学者の博士に相談してきました。彼女は、博士自身がまさに自殺したいと思っているとは知る はずがありません。自殺願望は異常ではありません、と博士が言うと、看護婦は彼女の人生で悩んでいることなど話していきました。彼女が去った後、博士は「 自分は体に障害があっても、他人を助けられる」と気づきました。そのことが博士の命を救い、数年後、仕事に復帰したきっかけとなったのです。やがて、家庭問題に焦点を当てた電話相談のラジオ番組「家族の声」が、表彰されるほどの人気で、新聞に連載記事も書いています。神さまは、とるにたらない私たちを選び、神の業を実現なさいます。

 神さまは、自分は立派な人間でないと思っても、人にとってかけがえのない存在とさせてくださいます。神さまに心を向けていると、神さまは、それを祝福に変えてくださる。ですから、わたしたちは、いつも神さまをほめたたえ、感謝することが大切なのです。

2010年12月5日日曜日

「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」 詩篇95篇1節


 ベトナム戦争中、9 歳のときにナパーム弾でやけどを負ったキム・フックさんは、クリスチャンとなり、十字架上のイエス様の祈りを知り、敵を赦し感謝できるようになりました。自分があの爆撃でも死ななかったのは、「互いに愛し合いなさい」という御言葉を実行するためだと、戦災孤児を助ける働きをしています。

「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」 詩篇95篇1節

 主、神様は偉大な創造主です。私たちは、その神様の礼拝に招かれています。そして救い主が、地上に来られました。大いなる喜びが、そこにはあります。

 フレッド・スミス氏は、自分の会社経営し、モービル石油などの大企業の経営コンサルタント、20 社の役員を務めてきました。スミス氏の信仰が成長したのは、逆境の時でした。「順境の時に学んだことなど何一つない。誰もが落ち込む時はある。しかし、苦難の時には真剣に祈るから、信仰が成長するチャンスなのだ。人生の目的は、キリストと似た姿になることであり、そのために、試練の時はどうしても必要である。苦難に直面したら、神が罰しているのだなどと考えてはならない。それは訓練の時であり、次第に試練を感謝出来るようになる」と語っています。偉大な創造主である神を礼拝し、共に喜び、自分を通して人々に神さまの力をもたらすのは最高の人生なのです。
 スミス氏による人に分け与えることのできる5 つの恵み
 1. 受け入れてあげる恵み
 2. 信頼してあげるという恵み
 3. 紹介してあげるという恵み
 4. 健全なユーモアという恵み
 5. 問題点を指摘してあげるという恵み

 喜びを持って神を礼拝しましょう。救い主イエス様が地上に来られました。イエス様により魂が救われ、永遠の命に希望を持ち、わたしたちは、イエス様の声、手、足となって平和を作り出すために、この世に遣わされているのです。