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2010年8月29日日曜日

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ヨハネによる福音書10章11節



  2005 年、トルコで羊飼いが、朝食を食べ、羊から目が離れてしまったとき、一頭の羊が崖から飛び降りたのです。すると、残りの1500 頭も後につづいて、崖から飛び降り、初めの450 頭は死に、後から落ちた羊は、谷底の羊がクッションとなり助かりました。羊飼いは羊を導き守ります。パレスチナでは、強盗に立ち向かい羊を守って死ぬ羊飼いもいたそうです。

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ヨハネによる福音書10章11節

 聖書では、教会は羊に例えられ、イエス様が「羊飼い( 牧者)」と呼ばれます。良い羊飼いであるイエス様は、羊のために命を与えられました。イエス様の十字架は、悲劇的な犠牲ではなく、イエス様自身が望まれた勝利の物語なのです。

 クリスチャンが目標とするべき生活は、聖書を読む ペトロ一 2:2「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。」 祈る テサロニケ一 5:17「絶えず祈りなさい。」 証しをする ヨハネ一 1:3「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」 教会生活をする a 礼拝する 出エジプト20:8「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」 b 指導者に素直になる コリント二13:8「わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。」 c 信徒と交わり、奉仕する フィリピ2:3-4「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 d 献金する コリント二9:6-7「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

 イエス様は、従う者たちの状況や体験、直面している試練をご存知です。その愛に触れ、イエス様に従う人は、羊の様な良い性質を持っています。1. 人を傷つけない 2. 柔和である 3. 忍耐強い 4. 有益である 5. 羊飼いに素直である 6. なごやかである 7. 神に捧げものをする。

2010年8月22日日曜日

「 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」使徒言行録27章25節



 ジョージ・ミュラーは、ロンドンで牧師となりました。ミュラー夫妻は、浮浪児を助け、寄付を募らず、信仰と祈りだけに頼ることで、神さまが生きて働いておられることを、人々に証ししたいと願いました。すると、神さまはいつも必要な食物を備えてくださり、借家で30 人の孤児を収容して始まった救済事業は、25 年後には、2000 人以上の孤児が収容できる施設へと発展しました。

「 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」使徒言行録27章25節

 パウロは嵐の舟の上、絶望的な状況の中で確信を持って人々に言いました。神の目的を妨げるものはありません。どのような試練があろうとも、神の目的がわかっているならば、神のみこころのうちを歩むならば、迷うことはありません。

 戦前、シュレーヤ宣教師夫妻は盛岡にが遣わされていました。そこの農民は、貧困、栄養失調、疫病に苦しみ、迷信が多く、借金や貧困のため、娘達を売っていました。宣教師夫妻は宗教教育センターを設立、幼児教育、保護者や幼稚園の先生の教育、貧しい娘たちの教育、青年活動、職業訓練などを始めます。センター内には図書館があり、聖書、英語、ドイツ語等も教え、レクリエーションも行われ、盛岡で最初の文化的設備で、神さまの教えと、奉仕と愛の精神が説かれたのです。しかし、戦争が始まり、シュレーヤ宣教師はスパイ容疑で逮捕されました。牢屋の中で、イザヤ54 章10 節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」の御言葉が支えでした。壁に十字架とクリスマスツリーを描き、クリスマスを祝いました。彼は半年後、釈放され、米国に帰されます。米国で夫妻は、「日本は米国のように平等な民主主義ではないので、
上からの命令にいやでも従わなくてはならないのです。日本人はみんないい人です。戦争が終わって、私たちがまた日本へ行ったら、みんな心から歓迎してくれることを確信しています」と訴えました。終戦までの3 年間、講演を1000 回以上行い、その体験を『嵐の中を』という本にまとめたのです。戦後、シュレーヤ宣教師は再来日し、岩手医大や短大で聖書の講義をし、1980 年天に召されました。

 神さまは必ずよいご計画をお持ちであり、私たちを最善の道へと導いてくださるのです。神さまに従うのがクリスチャンの務めです。イエス様の栄光を表す力は、信仰により実を結んだ出来事と、御言葉に対する信頼から与えられるのです。

2010年8月15日日曜日

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」テモテの手紙二 4章2節



 アニメでは、「クララの馬鹿!」と言って、ハイジは足の悪いクララを励ましました。原作では、ハイジはクララを一生懸命励まし、歩けるようになった時、二人で神さまに感謝の祈りをささげました。この物語は、今も世界中の人々が励まされています。「アルプスの少女」の作者、スイスのヨハンナ・シュピーリさんは、神さまから頂いた賜物を用いて人々を勇気づけた人でした。

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」テモテの手紙二 4章2節

 パウロは反対に会いながらも、2 年間、エフェソの町で福音を宣べ続けました。伝道は、教えること、戒めること、進めること、地道で根気のいる働きなのです。そのような働きの中で、主のことばは前進していきました。

 「アルプスの少女」の作者、ヨハンナの作品は、全て神さまへの信仰に基づき、光と希望と勇気を与えます。ヨハンナに神さまのことを伝えたのはヨハンナの母でした。ある日、母がヨハンナに聖書の御言葉から「心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのものである」と教えました。ヨハンナは「どうして、こころの貧しい人が幸いなのですか?」と聞いたら、「生きている人はみんなやさしさや思いやりを求めています。そのことを知っている人が心の貧しい人です。」と教えてくれました。愛と優しい心をもって人のためにつくす人が天の国に行けるのだとお母さんはいつも生活の中で教えてくれました。ヨハンナは大人になり、人を助けるための仕事をしていました。ときに作文が上手だったのを活かしてお話を作っていました。ある時、友達の父から、お話がすばらしいので本にして、儲かったお金を教会活動のお金にしてほしいと頼まれました。ヨハンナは神さまのために役に立つようにと思い本を出したのです。「アルプスの少女」もその時に出来たお話です。自分のためではなく、神さまのすばらしさがみんなに伝えることができるように、人に勇気を与えるよう書きました。
今でも、このお話は、世界中の人に神さまのすばらしさを仕え続けています。

 どんな時も、私たちは、神さまの国のすばらしさを伝えていきましょう。福音は、人を励まし、勇気づける力です。それは、祝福へとつながっていくのです。

2010年8月8日日曜日

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒言行録16章31節



 父親の4 つの役割とは、
第一に、家族の暮らしの必要を満たすこと。
第二に、家族の指導者の役割。
第三に、家族を外の世界から守ること。
第四に、霊的な方向を示すことです。
子どもが正しく育つために、父親の役割は大切です。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒言行録16章31節

 まず、パウロは自分自身の信仰を明らかにし、自身の救いを明確にしなさいと言っています。その態度や姿勢が、家族を救いへと導くのです。信仰は、私たちの救いだけでなく、その信仰により救いは、大きく広がっていくのです。

  約100 年前、ライト兄弟は飛行機を発明しました。その飛行機は世界で初めてエンジンとプロペラで動き、自由に操縦できるものでした。そのライト兄弟のお父さん、ミルトン・ライト司教は牧師であり、神さまへの信仰をしっかりと受け継いでいました。優しい父でしたが、安息日には必ず神さまを礼拝することを徹底させました。ですから、ライト兄弟は、日曜日にはフライトをしないようにしていまた。ミルトン司教の理想は人々に仕えること、人間の好奇心と科学の真価を認めること、そして、神さまへの深い献身でした。また、ミルトンの父( ライト兄弟の祖父) ダン・ライトも、篤い信仰家であり、読書、ものを考えることに日々を送りました。この強い信仰が、ライト兄弟の父親・ミルトンに伝わり、またライト兄弟にも受け継がれたのであろうと記している人がいます。息子たちが飛行機の発明に成功したという知らせを電報で知った父は、驚きもせず、彼らならば目標を達成すると信じていたと語りました。そして息子たちに、栄光を奪おうとする者が出てくるだろうと警告しました。特に、名声には気をつけるよう激励し、礼拝に出席し、品行方正な態度は、発明よりも、ずっと役に立つだろうと語りました。後に、どのようにして偉大な業績を成し遂げたのかと聞かれた時、兄のウィルバーは「良い父と母を見つけなさい。そして、オハイオ州に住みなさい」と答えました。

 神さまによる善悪の基準を示す人となりましょう。イエス様への信仰こそが、人生を満ち足りたものとし、家族を神さまの御前に導くのです。

2010年8月1日日曜日

「主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」使徒言行録15章11節



 「のらくろ」を描いた漫画家の田河水泡さんは、「サザエさん」の作者で、弟子である長谷川町子さんの影響でクリスチャンとなりました。水泡さんは亡くなる前に、占い師から家の間取りが悪いと言われて引っ越す人がいるのはなぜなのだろう、悪魔のことは信じられるならば、神さまの愛がどうして信じられないのだろう、と書き記しています。神さまは愛の方であると信じることで、人間は悪から守られ、誰でも一番よい方向へと導いていただけるのです。

「主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」使徒言行録15章11節

 恵みとは、「キリストによる贖いの業を通して、無償で義とされること」です。救いとは、真の自由、幸福を与えることです。ペトロは、誰でも、自己中心を捨て、謙虚にキリストを受け入れる信仰によってのみ、平安を得ると言いました。

  詩人の八木重吉は、東京高等師範学校( 筑波大学) 在学中に聖書に、イエス様の言葉に触れ、洗礼を受けました。しかし、28 歳で肺結核となり、30 歳で天に召されます。病床で、ますますイエス様への信頼を深め、恵みと平和が大きくなり、平安と希望に満ちた詩を数多く書き残しました。
 「雨」   雨のおとがきこえる
       雨がふっていたのだ
       あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
       雨があがるようにしずかに死んでゆこう      八木重吉
イエス様について彼は親戚に手紙を書いています。「…私はまずその人の言葉と行いに完全なる善を感じました。( 中略) その人の他人に対する態度、行い、言葉に非のうちどころがありません。( 中略) そしてなんとも云えぬ美しい魂のひらめき、崇高なる魂の魅力、それをその人に感じました。これこそ自分の長い間探していた者だと信じました。」イエス様による救いと神の国を確信し、病気で死が近づいても平安でした。自分の力で何かしようというのではなく、神さまの力にまかせ、神さまにささえられていたのです。残された妻も信仰によって強く生き、無名だった重吉の作品を世に知らせました。

 誰でも、どんな人でも、神の子となり、救いを得るただ一つの道は、自己中心を捨て、キリストの十字架の贖いを受け入れる信仰を持つことです。真の平安はそれ以外の方法で得ることは出来ません。