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2010年3月28日日曜日

「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。」ペトロの手紙一 2章24節



 テンプル大学心理学教授スタインバーグ博士の研究で、2 万人の高校生の3 分の2 が、親と毎日、口をきいていないことがわかりました。また、親と子供のくずれた関係から、学力の低下や薬物乱用などの生活の乱れがおこっていることがわかりました。

「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。」ペトロの手紙一 2章24節

 神と人との関係がくずれてしまったこと、それが「罪」です。その「罪」を赦してくださるため、イエス様は「罪」がないのに、私たちの代わりに十字架に架かりました。神の愛によって私たちの「罪」は赦されたのです。

 子供が特に愛を必要としている時に、適切に愛を受けるならば、家族がバラバラになる様な痛みも無事にくぐり抜けることが出来ます。クリスチャンキャンプ協会のボブ・コブレッシュが子供の頃、父は成功したビジネスマンで、母は専業主婦でした。しかし、父親は会社を辞め、カルト宗教に入信し、家族を引っ張り回した後、病気になってしまいました。家族は故郷に戻り、ボブが9 歳の時、両親は離婚しました。この頃、ボブと兄弟たちはキリスト教に触れ、全員がキリストを救い主として受け入れ、ました。家族は福祉の世話になり、母親が複数のパートをかけ持つことで生活しました。ボブはこう言いました「母はいつも前向きで、暗いことは口にせず、私たちは普通の家族のようでした。そうでないとは、知らなかったのです。献身的な母親とクリスチャンの歩みを教えてくれた親戚がいなければどうなっていたでしょうか。自分の育ち、シングルマザーの母親を、神に感謝します」

 神との関係がくずれることは、親子の関係が崩れてしまう以上のことです。神と正しい関係を修復しなければ、人は「罪」のなかに沈んでしまいます。神は、キリストの十字架により私たちへの愛を示してくださいました。キリストを救い主として受け入れましょう。

2010年3月21日日曜日

「 わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカによる福音書22章32節



 ケビンは裏庭で野球をして、近所の窓ガラスを割ってしまったことがありました。ケビンの家では裏庭で野球をする事は禁止されていました。父親は、すぐにケビンをしからず、まず抱きしめました。そして「父さんもつらいが、しなければならないことがある。そのまえに、お前を愛している事をわかってほしい」と言いしばらく、抱きしめてから注意をしました。

「 わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカによる福音書22章32節

 試練に合う時に、人は挫けそうになるものです。しかし、イエス様は試練に合わないようにではなく、信仰がなくならないように祈りました。信仰があれば試練に耐えることが出来ます。私たちも試練にあっている兄弟姉妹のために祈りましょう。

 60 年代から70 年代バイクスタントで活躍し、年間60 億円も稼いでいたイーベル ニーベルの離婚した妻と娘は、教会の人々とともに彼が信仰を持つように祈っていました。その祈りの中、イーベルはイエス・キリストを受け入れる決心をしたある晩、「悪魔よ、俺の人生から出て行け」と祈りました。すると、神の霊で満たされました。かつて彼は「自分はどんな王や、大統領よりもすばらしい人生を送ってきた」と著書に書きました。また、彼は5 台のロールスロイス、5 台のフェラーリ、2 台のジェット機を持っていましたが、今はそんなものはくだらない物だと思っていると言います。「わたしは罪人でしたが、今は違います。キリストに救われた者です」

 失敗してもあきらめないでください。神様はその失敗さえ益となるように導かれます。また、失敗し落胆している友のため祈りましょう。

2010年3月14日日曜日

『しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」』マタイによる福音書19章14節



 昨日は主人の学校の学位授与式でした。私と子供二人も一緒に東京へ出かけました。式が終わった後にお茶会があり、学校の先生や学生の方々とお話をする機会が与えられました。主人と一緒に学んだというK さんとお話をしました。
 K さんは教会学校の教師をしている方です。K さんの御主人の両親が牧師で、結婚をしたことをきっかけに洗礼を受けられたそうです。現在8 歳のお子さんが一人いらっしゃるようですが、そのお子さんが2 歳の時に、教会学校の教師を任されるようになり、教会学校の生徒は自分の子供一人だったようです。自分の子供一人だけれど、その一人のこどもを大切にして神様のことを教えていたようです。一人のこどもを大切にしていたら、少しずつ教会学校に子供が増えてきたということでした。今ではK さん一人では大変になってしまうくらい子供たちが教会学校へ通ってくるようです。
 K さんが「こどもに伝えることで一番大切なことは神様のことじゃないですか。」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。

『しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」』マタイによる福音書19章14節

 人間は、神様のところから来て、また神様のところへ帰っていくのでしょうか。我が家にも二人のこどもがいますが、この二人は私よりもずっと神様に近いところにいます。信仰を伝えれば、頭でっかちな私よりもずっと素直に受け入れることができるでしょう。まずは、自分の二人のこどもを大切に。自分の子供だけれど、すべてのこどもに語りかけるように神様の事を伝えていけたらと思います。(Y.I)

2010年3月7日日曜日

「 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽の ように輝き、服は光のように白くなった。」マタイによる福音書17章2節



 先週の木曜日に「だだこねワークショップ」というものに眞理子と私の二人で参加してきました。この「だだこねワークショップ」とは、光がお腹にいるときに興味をもった「抱っこ法」(*)の講座です。
 「抱っこ法」の講座への参加は初めてだったのでどんなことをするのだろうと少しドキドキして会場へ向かいました。会場にたどり着き、参加する親子が集まると講座は始まりました。最初はM さんが子供の「泣く」ことや「だだこね」の意味を説明してくださりました。
 初めに、準備運動でみんなで「やだやだ」をしましょうというので、M さんの真似をして「やだやだ」と声に出しながら体をじたばたさせてみました。すると、涙がじわっと出てきました。こんなことで泣いてしまうなんてと戸惑い、大泣きになっては困るので途中で「やだやだ」をやめてしまいました。
 その後、大人同士で子育てでよくある場面をやることになりました。ご飯を食べる前に子供がお菓子を食べたいという場面です。二人ずつペアになり、一人が子供役、もう一人がママ役です。私は最初、子供役をやりました。「お菓子が欲しい」と言いながらママ役の人の手を押します。最初は子供に言われるままにしてしまうママが相手です。子供役の私が押すと、押されるがままにママ役の方は後ずさりしてしまいます。
 次はママが強く、絶対にダメという態度で子供の私の手をどんどん押し続けます。最後は、子供の私が「お菓子が欲しい」と言い、ママ役の方の手を押すと、同じ強さで押し返してきてくれて「お菓子欲しいね」と気持ちに共感してもらいました。その時も、涙が溢れてきました。とても嬉しくてです。子供はこういう気持ちなんだということを身をもって感じました。
 子供が欲しいものはお菓子や物ではなく、頭ごなしに叱られることでもなく、ダダをこねながら気持ちに共感してもらうことなのだと思いました。このことは、抱っこ法の本を何冊か読みましたから頭では理解していました。しかし、今回、講座に参加し実際に子供の立場に立って涙を流すことによって感情でも納得することが出来ました。
 講座に参加した翌日、我が家で全く同じ場面に出くわしました。夕食の前に眞理子が「ジュース飲む」と言い出したのです。一瞬、少しだけあげてしまおうかと思いましたが、気持ちを受け止めてもらったときの嬉しい気持ちを思い出し、自信を持って眞理子にだだこねをさせました。少しの間、だだこねをしたあと、眞理子はすっきりとした表情になりご飯を沢山食べました。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」 マタイによる福音書7章12節

 「甘えさせる」ことは良いことだが、「甘やかし」はいけないと聞いたことがあります。子供が本当に求めているものを与えることが「甘えさせる」ことなのだそうです。一方、「甘やかし」とは、子供が本当に求めているものを与えず、他のものでごまかすことなのだそうです。(**)そう考えると、自分自身、「甘やかし」ていることもしょっちゅうのような気がしてきます。子供の本当に求めていることに気がつける親になれるように祈りたいと思います。(Y.I)
★ (*) 抱っこ法とは、赤ちゃんの抱っこの仕方ではなくて心を抱きしめるという意味で親子カウンセリングの技法です。
★ (**) 参考文献『「甘えさせる」といい性格になる!』PHP のびのび子育て2010 年3 月増刊号