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2011年2月27日日曜日

「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」ヨハネによる福音書1章29節



 ある教会に、少しだらしない格好をした若い人がやって来ました。その人は床に座りました。それを見て、きちんとスーツを着た教会にいつも来ている老紳士が、その若者に近づき、若者の隣に座り礼拝しました。この老紳士は、イエス様の本当の愛をこの若者に優しく分け与えたのでした。
 
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」ヨハネによる福音書1章29節

 「世の罪を取り除く」とは、世の罪を引き受ける、という意味です。「小羊」とは、神さまに仕え、この世を支配する勇敢な者を指しています。世の罪とは、悪い行ではなく、神さまを信頼せず、自己中心に行動することです。

 稲見冬峰さんは、美味しい紅茶の入れ方や、パンの作り方を教えているクリスチャンのティー・コーディネーターです。紅茶やパン作りをとおして、人々にリラックスした時間を過ごしていただきたいと思っています。彼は小3 の時、ショッキングな出来事に合いました。一緒にプールで遊んでいた友達が、おぼれて死んでいたのです。それ以来、自分の命はいつなくなってしまうのだろうと、こわがるようになりました。生きているのがつらくて、死んでしまいたいほどでした。19 歳のとき、クリスチャンの伯父の家を訪ねました。伯父さんは彼が苦しんでいると知り、キリストの十字架の話をしてくれます。今まで、どんな話も聞く気になれなかったのに、イエス様の話は今聞かなければならない、という思いになりました。「いっぺんに信じることは難しいけれども、私はもうここで信じよう」と決心したのです。冬峰さんはイエス様を信じて歩むようになって、心の痛みもなくなり、いろいろなことが変わりました。紅茶の入れ方やパンやお菓子作りの先生の資格を持ち、生徒と楽しい時間をすごしています。過去のつらいことはイエス様によって全部いやされ、イエス様と触れ合った時のようなホッとする幸せな時間を人々に与えられるようになったのです。

 イエス様は、十字架の上で私たちの自己中心の罪を贖うために、死んでくださいました。それを信じて悔い改めることによって、私たちは神の子とされ、神さまを天の父として信頼する道をイエス様によって備えられます。

2011年2月20日日曜日

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。ヨハネの手紙一 4章12節



 結婚したら、次の日から夫婦になるわけではなく、一生かかって本当の夫婦になるのだと、クリスチャン作家の三浦綾子さんは結婚したとき牧師に言われました。夫婦愛の成長が止まってしまっては、二人の幸せな時間はありません。

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。ヨハネの手紙一 4章12節

 家庭ほど大切な場所はないのに、私たちは家庭の中で、無作法で、自分中心で、不親切になってしまいがちです。しかし、イエス様が、本当の愛が生活に入ってくるときは、すばらしいことが起こるのです。

 三浦綾子・光世夫妻の出会いにはこんなエピソードがあります。綾子さんが結核で13 年間も療養生活を送っていたとき、光世さんは、知り合いから見舞いを頼まれました。病気で寝ていた綾子さんを見て、光世さんは「これは治るのだろうか」と思いました。一年ほど立った頃、光世さんは綾子さんが死んだ夢を見ました。そこで、彼は、癒してくさいと、祈りました。その祈りの中で、「愛するか」という聖書の言葉が胸に迫ってきました。「結婚が神の意志ならばその愛をわたしにください」と必死に祈り、結婚を決意したのです。その後の見舞いで、「全能の父なる神さま、この堀田綾子さんをどうぞ、御心にかなうならば、おいやしください」と祈り、最後に、「もし、私の命が必要でありましたら、差し上げてもよろしゅうございます」と付け加えました。自分の命を引き換えにしてでも、治してほしい、という祈りに綾子さんは感動します。出会って四年目、「来年は... 二人でお父さん、お母さんに、新年の挨拶に来ることにいたしましょう」と光世さんは言いました。それが光世さんのプロポーズでした。

 「結婚は愛の学校」と三浦綾子さんは言いました。お互いに愛し合い、仕え合い、ふたりで力を合わせ、神様に与えられた使命を果たす。そういう家庭に、神様の限りない恵みがもたらされるのです

2011年2月13日日曜日

「 天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。」ネヘミヤ記2章20節


 「私は自分が正しいと思うことに進んで命を差し出します。自分の信念に従い、誠実に行動すれば、その死は報われると信じています」。非暴力主義で公民権運動を進め、公民権法を制定させた中心人物生前、キング牧師はテレビのインタビューで、こう答えました。たとえ殺されても、神がこの運動を成功させてくださると、信じていたのです。

「 天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。」ネヘミヤ記2章20節

 バビロン捕囚のころ、ネヘミヤは神の助けにより、エルサレムを再建しました。自己中心に落ち入らず、神が私たちの働きを導かれることを信じて、神がなさろうとしていることをなさろうとしていることに取り組んで行けば良いのです。

 バンクーバーオリンピック、スピードスケート米国代表のチャド・ヘドリック選手は、毎週、教会に通い、快適な人生を送っています。信仰厚い妻の実家が愛で満ちているのを見て、娘にもそうなって欲しいと願い、神の愛に満ちた人生を築いています。ヘドリック選手はこう語ります。「イエス様なしでは、私の人生は全く違った方向に向かっていたでしょう。そして、辛いときには、いつでも頼れる人が与えられてきました。人生に問題がないときは、簡単なことですが、辛いときは、人格が問われます。しかし、神さまにお委ねし、慰められるときは、生きてゆくのがかなり楽になります」と。また、「自分と家族がバンクーバーで素晴らしい時を過ごし、生涯の良い思い出をつくれるように。自分の実力が発揮できるように。そして何よりも、かつての自分のように、世界を敵に回し、暗い人生をおくっている人々が、神に祝されている自分の中におられる神を見て、生き方を変え、人生を楽しみ、人生を愛せるようになり、それぞれの人生で特別な
ことを成し遂げられるように、と祈ってください」と答えました。バンクーバーで彼は、男子1000m 銅メダルを獲得しました。

 人が自己中心的な願いをかなえるために、神さまの意志を曲げようとせず、いつでも謙遜になり、自分の栄光ではなく、人々の魂の救いのために、与えられた賜物が用いられるようにしましょう。

2011年2月6日日曜日

「 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」ヨハネの手紙一5章14節



 「歌のメッセージを聞いた人々が、聖書的な社会を作るようになることがわたしの願いである」と、「エル・シャダイ( 全能の神)」の作詞者マイケル・カード氏は言います。「エル・シャダイ」は、80 年代に米国のクリスチャン音楽界で大ヒットしました。

「 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」ヨハネの手紙一5章14節

 神の御心を理解し、御心を行うように心を従わせる時、そんなときの祈りこそ確信をもった祈りなのです。

 2008 年度の「音の匠」に、クリスチャンのナレーター・中村啓子さんが選ばれました。啓子さんの声は、JR 駅、エスカレーターの案内、空港バス、多摩モノレールなどの車内アナウンス、NTT ドコモの留守番サービス、104 の番号案内、117の時報などに用いられ、テレビ、ラジオ等でも幅広く活躍しています。啓子さんは、かつてCM で数々の賞を受けて売れっ子となり、この世的な幸福の絶頂を味わっていました。しかし、腹部に癌が発見され、手術のため入院した時、仕事仲間は誰も見舞いに来ませんでした。「自分は、仕事の能力という一面だけを買われていたに過ぎなかったのだ。このまま死んだら、何と薄っぺらな人生なのだろう」という思い、心から祈りました。「神様、もう一度命が与えられるなら、本当に人を愛することを教えて下さい」と。術後、さそわれて教会( 日野キリスト教会) を訪れると、讃美歌の歌詞「ゆるし」という三文字が啓子さんの目に飛び込んできました。本当の愛を求めて教会に一歩踏み込んだとたん、神さまから与えられたお答えが「ゆるし」だったのです。その瞬間、これが本物だ!という思いに満たされ、イエス・キリストの十字架によってのみ、人の罪は赦されることを知り、洗礼を受けました。

 「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。」(ネヘミヤ2-8)とあるように、神の御心を行おうする者に、神は必要のすべてを備えてくださるのです。